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● 2009/01
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イギリスではどういうわけか、伝統的に木曜日が総選挙の投票日に選ばれる。
理由は判然としないのだが、強いて推測するならば、単純小選挙区制であるため、木曜日の深夜、遅くとも日付が変わって金曜日になるころまでには結果が判明する。
国民は金曜日の朝刊で選挙結果を知ることができる。
そして週末を挟んで、月曜日から本格的に新政権が始動‥‥ということなのだろうか。
日本では通常国会が召集されると、首相による施政方針演説が行われるが、イギリスではいささか趣が違う。
元首たる国王が、内閣が作成した原稿に基づいて
「私の政府は‥‥」
ではじまるスピーチを行う。
こうして、新年度の施政方針が明らかにされるわけである。
歴史的には「キングス・スピーチ」と呼ばれるが、現国王はエリザベス二世女王なので、当然ながら「クイーンズ・スピーチ」である。
ちなみに、このスピーチが行われる日は、日本で言えば幹事長にあたる最高幹部は議場ではなくバッキンガム宮殿内の一室にいる。
これは王権と議会が対立していた時代の週間の名残で、国王が無事に戻るまで、議会が人質をさし出しているのだ。
つくづく奇妙な伝統を守り続ける国だが、その話はさておき。
イギリスでは、公立学校かカトリック・スクールに通う子どもは学費が無料で、また熾烈な受験戦争はないため、塾に通う必要もない。
が、私立校となるとなると、学費の問題がまるで違ってくる。
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これだけの学費を支払える家庭が、そうざらにあるわけではない。
私立校に通う子どもは、イングランドでは全体の「7%」、スコンドランドでは「4.2%」に過ぎない。
アメリカのサブプライムローン問題に端を発する金融不安が起きて以来、------イギリスでは私立校に通う生徒が減った、と思いきや、事実は逆である。
2001年から2007年までの間に、公立校の生徒数が3.4%減ったのに対して、私立校の生徒数は5.6%も増加している。
ミドルクラスの親は、相当な無理をしてでも自分の子どもを私立校に通わせるという傾向にあるということである。
理由はいくつか考えられる。
まず伝統というものがある。
代々名門私立校の卒業生である親は、わが子を公立校に進ませるなど、最初から選択肢として考えてもいないのである。
次に、私立校そのものの魅力を挙げることができる。
熱心な教員、充実した設備、少人数学級で生徒の個性を重んじるきめ細かい指導(教師一人あたりの生徒数が平均10人を下回っている)といったようなことだ。
名門と呼ばれる私立校ほど、学業だけでなくスポーツや芸術、古典的教養、礼儀作法などを重んじており、
「センス・オブ・ヒョーモアと不屈の精神を教え込む」
といったように、エリート養成機関としての目的意識を明確にしている。
だから、イギリスでは、小学校から私立校で教育を受けてきた若者は、話し方や立ち振る舞いでそれがわかるものだ。
最後に、そしてなにより、名門大学への進学に圧倒的に有利だということがある。
公立校でも優秀な生徒は優秀であり、私立校の生徒に見劣りすることはない。
ただ、その先の段階、つまり大学を受験する時点で、差が出てくる。
出願手続きは、通常5校まで志望先を選べるが、オクフォード&ケンブリッジはいまでも「上流階級の樂校」というイメージをもたれていて、多くの公立校生徒は、最初から敬遠して出願さえしない。
反対に、優秀な学生が地方の(たとえば地元の)大学に出願すると、
「本校への入学を望むのであれば、奨学金を出す容易があります
といったオファーが舞い込むこともある。
オックスブリッジなどの名門校では、たとえ出願しても、今度は大学側が、身上書と面接という関門を儲けている。
身上書は要するに書類審査ということである。
私立校の生徒は親切丁重に書き方の指導を受け、教師による添削までしてもらえて、圧倒的に有利になる。
次に面接だが、個性重視という美名に隠れた、階級的差別であると言われている。
外国にいったことがあるかと問われて、「ない」と答えると「視野が狭い」という評価を受ける。
帰国子女といった話ではなく、「学校の伝統にふさわしい」階級的バックグラウンドの持ち主を優先的に合格させるような制度なのである。
上流階級特有の強固なコネクションが存在することも事実である。
公立校の生徒の多くが、たとえ成績優秀でもオックスブリッジへの出願を控えるのは、そういうコネクションに加われないないと考えるからである。
総じて言えることは、イギリスは昔も今も学歴社会ではなく「階級社会」であるということである。
こうした社会であるからこそ、「金儲け・成り上がり」を指向する者は、上の階級からも下の階級からも軽蔑されがちになる。
このことを指して、イギリス人の精神的な豊かさだ、などと説く人がいるが、私に言わせれば、
「勘違いも甚だしい」
ことである。
教育に関してはイギリスにおいて、大企業の重役の子も、ガソリンスタンドで働く労働者の子も、同等の無償の公教育を受けているという事実は存在しない。
むしろ、経済的格差が教育環境の格差に反映される傾向は歴然としており、それによって格差が再生産され、固定化される階級社会なのである。
だからこそ、私は我が国において昨今言われている、親の経済力と子どもの偏差値が正比例する、
などという教育格差の問題を放置しておくと、次世代の日本人は固定化された「ネオ階級社会」で暮らすことになってしまうだろうと、言い続けているのである。
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【習文:目次】
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