2010年3月28日日曜日

★ 女は死ななきゃ治らない:ビートたけし

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● 1994/06



親孝行、カネの前に仁義なし

 うちのオフクロなんかずうずしいから、今、二番目の兄貴といっしょに住んでるんだけど、昔は、
 「子どもに教育がないヤツはダメだ、ダメだ」
って言ってたの。
 ところがさ、最近オイラん家が送る金が多くなったら、兄貴に、
 「やっぱり人生は教育だけじゃない」
って。
 「どんなもんでも偉くなったほうが勝ち」
だって。

 兄貴が怒ってさ、
 「ふざけるな。今までさんざんオレが世話して小遣いやっていたのに、送る額が変わった  ら、急に
 『やっぱり現金のほうがいい、教育なんかするもんじゃない』
って言い出すなんて」
 頭に来たって。

 本当にさ、ガキなんて一発で立場逆転する可能性があるんだよ。
 要するに、今までうちの兄貴は毎月毎月オフクロに3万円ずつ小遣いやっていた。
 オイラはぜんぜん、やってなかったんだ。
 だからオイラのこと、
 「あいつはロクデナシだ」
 とかいろんなこと言ってさ、それでオイラがいきなり、
 「母ちゃん悪かった!」
 って百万円やったら、今までの苦労が全部なくなっちゃたって。
 目の前の百万円でコロリと変わっちゃう。
 土地売らない農家の人みたいなもんで、現金を積まれたら今までの苦労なんかどうだっていいんだ。

 「やっぱり、たけしは偉い。
 誕生日に百万円もくれた。
 その点おまえはなんだ、また十万円か」
 って。
 兄貴が怒って、
 「冗談じゃない、何十年とやってきて百万円以上あげてんのに何で一発の百万円を目の前に積まれたらこうなんだ」 
 って。
 オフクロは、「昔は昔、今は今」だって。









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2010年3月22日月曜日

★ 宣戦布告:あとがき:麻生幾


● 2010/12[2010/03]



 広島県呉市で海上自衛隊の極秘部隊が誕生したのは一昨年。
 <海上警備隊(仮称)>なる防衛長官直轄の日本版"SELS(米海軍特殊部隊)"が一個小隊規模で編成されたのだ。
 ほぼ同時に、陸上自衛隊にも対ゲリラ戦特殊部隊が生まれ、早くもアメリカで過酷な訓練を経験したという。
 実戦配備も間もなくだとされている。

 この3年間、日本を取り巻く安全保障の「環境」は劇的な展望を遂げていると言っても過言ではない。
 その象徴がこの2つの"特殊部隊"の誕生だ。
 しかし、その実態はさらにスケールも大きく、日本という国家を変えようとしている。
 最大の理由は、やはり<テポドン日本横断事件>と<北朝鮮領海侵犯事件>だろう。
 センセーショナルに報道された2つの事件は、日本人に安全保障と言う忌み嫌われて来た現実を、問答無用に喉元へ突きつけたからだ。
 熟睡中を叩き起こされたかのように、政治家たちは慌てて法律改正と様々な予算処置を官僚たちに号令した。
 自衛隊と警察との間で氷漬けされていた協力協定を見直し、新しい装備を取り入れ、自民党内でも議論が沸騰した。

 本書『宣戦布告』を単行本として出版したのは、その大きなうねりが起きる直前のことだった。
 執筆を思いついた契機は、ごく単純なことである。
 外国のゲリラ部隊が日本に上陸しても<自衛隊は出動できない>という実態に、素直に驚いたことがすべての始まりだった。
 そして様々な関係者にインタビューを求めた。
 データを詰め込んだファイルが重ねられるにつれ、私は愕然とした。
 皮肉にも、日本の安全保障の混乱した現実がドラマ性を発揮したのである。
 そして今、文庫本として出版するという話が担当編集者の方から寄せられ、私の前に再び『宣戦布告』が帰って来た。
 もう一度、その拙稿を捲くった時、日本のいったい何が変わって、何が論議され始めたのかと改めて考えさせられることとなった。

 2001年1月現在の、出来うる限りの最新情報を取り入れ、単行本では書き込めなかったデータも交えた。
 単行本では差しさわりがあった非公開資料も引っ張り出した。
 そうして出来上がったのが、この『加筆完全版・宣戦布告』である。
 ただ、それでも尚、すべての情報と事実は、まだ私のファイルの中に積み残されている。
 本書に登場する主人公たちがなやみ、慟哭する現実派、余りにも深いドロの中に埋まっているからだ。
 
 本書はフィクションである。
 つまり"作り話"だ。
 だが、どんどん駒を推し進めてゆく、シュミレーションでもない。
 私の新たな挑戦---そう理解していただければ幸いだ。

 2001年3月 浅生幾







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2010年3月17日水曜日

★ The Historian ヒストリアン:訳者あとがき

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● 2006/03[2006/02]



 ある夜、16歳の少女が父親の書斎で見つけた不思議な本、それがすべてのはじまりだった。
 真ん中に竜の挿絵が入っているだけで、あとは白紙のその古びた本には、ドラキュラを示す言葉が記されていた。
 少女がこの本のことを尋ねると、父親のポールは青ざめ、彼女の思いもよらなかった過去をほつりぽつりと語りだす。
 大学院時代のこと、この竜の本にまつわる資料をポールに託した直後に不可解な失踪をとげた指導教官ロッシ教授のこと、そして、少女が幼い頃に亡くなった母親との出会いを。
 ポールは恩師の行方を捜して、イスタンブールから冷戦下の東欧まで竜の本の謎を追いかけるのだが、すべてを話し終えないうちに、今度は彼が娘の前から姿を消してしまう。
 少女はのこされた手紙を手がかりに、決死の覚悟で父親捜しに行く‥‥。

 本書『ヒストリアン』は、発売されると同時に、全米ベストセラー第一位に輝いたエリザベス・コストヴァの華々しいデビュー作である。
 累計部数は百万部を突破、世界33カ国で翻訳出版が決定し、映画化も予定されている話題作だが、10年の歳月をかけて紡ぎ上げられたこの壮大な物語はその前評判の高さにもたがわず、歴史ミステリのおもしろさを心ゆくまで堪能させてくれる。
 ここでは3つの時代の物語が幾重にも絡み合い複雑な模様を描きながら、作者のしなやかで卓越した手にあやつられて美しくも哀切なハーモニーを奏でる。
 若き日のロッシが竜の本の謎を追う1930年代、少女の父親がそのロッシを捜す50年代、そして少女が父親の行方を捜す70年代。
 この3代にわたる数奇な物語で登場人物のたちの運命を翻弄するキーマン、それがドラキュラである。

 ただし、ここに登場するドラキュラはブラム・ストーカーとハリウッドが創りだした"ドラキュラ伯爵"ではない。
 押し寄せるオスマン帝国十数万の大群をわずか数千の兵力で退けた母国の英雄にして、自国の民を何千何万となく串刺し刑で粛清したとされる血に餓えた暴君、15世紀に実在した封建領主ワラキア公ヴラド・ツエペシュのことだ。
 はたしてこの誇り高き孤高のワラキア公は悪逆非道な吸血鬼なのか?
 いまだに謎とされるその死の真相と死骸の行方も含めて、薄暗い文書館で、山中にひっそりたたずむ修道院で、時が止まったような東欧の村で、ゆっくりした地道な足取りながらスリリングな探索の旅が続く。
 銀の銃弾や十字架や杭といったおなじみの小道具も登場するが、本書の歴史家たちが手にした吸血鬼退治の最大の武器は、古い地図や手紙や伝説といった資料であり、歴史の真実を解き明かしたいという情熱であり、愛する人を救おうとする勇気である。

 2006年1月    高瀬素子











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2010年3月16日火曜日

: 臨死体験の5段階

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● 1998/04[1997/12]



 臨死体験にはおおむね5つの段階で成り立っている。

 まず第一段階として、安らぎや安堵感を覚える。
 多くの体験者が臨死体験を素晴らしいもの、心地よいものと表現している。

 次の第二段階が、対外離脱体験(アウト・オフ・ボデイ・エクスペリエンス)。
 通常は「OBE」と略される。
 自分の意識の主体が肉体から浮き上がり、自分の肉体を見下ろすことで、俗に言う「魂が抜け出た」状態である。
 このときの体験者の感覚は非常に明晰であり、冷静かつ客観的に離脱の状況を受け入れ、周囲を観察する。
 かっては意識の主体が肉体と紐で結ばれていたと報告する体験者も多かったが、近年ではそのような紐を見るものは少なくなってきている。

 第三段階で体験者は光の世界へと向かう。
 多くの場合、一旦やみの中に入り、そこを抜けて光の世界へと到達する。
 トンネルを潜っていくような感覚であるといわれる。
 光の世界とは「死後の世界」あるいは「天国」である。

 第四段階として、光の世界に到達した体験者は美しい風景や建造物、あるいは神や仏、死別した知人の姿を見る。
 神と会話してメッセージを託されたり、全宇宙と一体になったような法悦感を覚えたという例もある。
 さらに、これまでの自分の人生が走馬灯のように浮かんできたと語る者もいる。
 それらの光景が自然に蘇ってくる場合もあれば、神が意図的に見せてくれたという場合もある。

 そして体験者は、神などから「おまえはまだここに来るべき人間ではない」といった拒絶の意向を聞き、あるいは背後から呼ぶ声が聞こえたり無理やり引き戻される力を感じたりして、自らの肉体に戻る。
 このとき体験者の多くは「死後の世界」の心地よさを思い返し、そのまま留まっていればよかったと後悔する。
 これが第五段階である。









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★ Brain Valley ブレイン・ヴァレー:瀬名秀明


● 1998/04[1997/12]



 1970年代後半から80年代にかけて、癌の解析が飛躍的に進んだ。
 DNAやRNAを取り扱う遺伝子工学の技術が飛躍的に進歩したためである。
 目的の遺伝子を捜し出し、その塩基配列を決定し、さらにはその一部を人為的に変異させて作用の相違を観察する。
 このような一連の操作を比較的簡便に行うことが出来るようになってきたのだ。

 癌は細胞の増殖に関与する遺伝子やその制御シグナルが異常をきたすことによって引き起こされる。
 癌遺伝子は世界中で争そうようにクローニングされ、その働きが調べられた。
 その結果、癌関連遺伝子が非常に多岐にわたること、そして細胞の増殖機構に深く関係していることがわかってきた。
 細胞内のシグナルネットワークがようやくその姿を見せ始めたのである。

 一方、脳の研究は、癌や免疫のそれに比べると遅々としていた。
 あまりにも難解で、どこから手をつければいいのか研究者自身もわからなかったのである。
 1950年代になって、ワイルダー・ペンフィールドがてんかん患者の頭蓋を開き、脳に直接電気刺激を与えて何が起こるかを観察するという一連の研究を行った。
 ペンフィールドの研究は脳研究の歴史のなかで大きな位置を占める偉大な功績であったが、人体実験ともとれるこの方法は自主規制されるようになり、やがて研究対象はネズミやサルに移ってゆく。

 時代が進むにつれて、脳研究を行う際の難問が次第に明らかになってきた。
 脳の大きな特徴は、一つ一つの神経細胞の活動が、統合されて意識や情動の」ような規定しがたい大きな状態を作り上げていることにある。
 ミクロとマクロの視点が必要になってくる。
 これがたの生物化学の分野と明らかに異なる点であった。
 神経細胞内の物質の動きというミクロの問題を、どのようにして脳の高次機能というマクロな問題へと連結させていくか。
 研究者たちはそれに回答することができなかった。

 具体的な問題としては二つあった。
 一つは、モデル実験が極めて困難であること。
 神経細胞一つを取り出しても脳全体の働きを把握することはできない。
 人体実感が不可能ならば動物を用いるしか方法はない。
 動物はこちらの質問に答えてくれない。
 脳を刺激し、いま何が見えているかと尋ねることはできない。
 免疫や癌の研究であればある程度モデル動物を用いた実験で代用が可能であるのに対し、脳の研究では単純には話は進まない。

 もう一つは、脳機能を測定し解析するための有用な技術がほとんど存在しないということであった。
 脳波や神経細胞の電気的興奮を測定する程度しか方法がない。
 笑ったり泣いたりしているときに、脳のどの部分がどのように変化しているのか、観察することができないのだ。
 測定手段を持たないものは研究対象として成立しがたい。
 結果と原因をつなぐ論理的な解釈を与えることができないからである。

 癌や免疫の研究がピークを過ぎたころ、研究者たちは次にクローズアップされるテーマは何かと考えるようになった。
 そして多くのものが、これからは「脳の研究」だと直感したのである。
 また社会もそれを要請していた。
 幸いにも、癌研究の発展につれて、脳の研究は新たな時代に入っていった。
 遺伝子の研究技術が進んだことにより、脳機能を遺伝子レベルで解析できるようになったのである。

 一方、工学分野の劇的な進歩により、脳機能の解析装置が飛躍的に発達した。
 脳内に発生する極微小の時期を測定できるようになったために、脳のどの部分が反応しているかをおおまかだがある程度見て取ることが可能になりつつあり、記憶や情動などこれまで手のつけられなかった脳の高次機能の研究に道が拓けたのだった。
 ミクロとマクロを解析する手段がようやく成熟し始めた。

 多くの研究者が、これからの脳研究は遺伝子とコンピュータに接近していかなければならないと感じていた。
 これから研究成果が続々と発表されてきる。
 それらを統一し、容易に検索できるデータベースが必要だった。
 精神疾患の原因となる遺伝子を解析するためには、ヒトゲノム解析計画のデータも必要になってくる。
 他分野のデータと即座にリンクできる環境を整備しなければならない。
 また、脳の機能を研究するのは脳の構造を視覚的に表現する技術が必要不可欠である。
 コンピュータフラフィックスを用いて、どの部位が反応しているかを確認できるようにしたい。
 さらに、脳の記憶のメカニズムが理解できれば、脳を模したコンピュータを作り上げることができるかもしれない。
 今後の脳研究は神経科学者だけが行うのではなく、遺伝子やコンピュータ工学の専門家と連携して進めることが重要だった。





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2010年3月14日日曜日

: いわゆる、ネクラである


● 2000/06[1995/06]



 イタリア人は陽気、というのが一般的なイメージだけど、実際付き合ってみるとけっこう屈折していて考え込むタイプの人が多い。
 いわゆる、ネクラである。
 インテリはデカダンに、一般人はイタリア式苦難に満ちた日常生活の問題に、それぞれ考え込まないといられない毎日のようだ。

 しかし、あまりに悩みの種は多くて、いちいち深刻になっているときりがない。
 それならばとりあえず、暗く落ち込むのは先送りにして、この瞬間だけでも楽しんでおこうか。
 ということで、たいていのイタリア人は表面的に明るくタフなのである。
 時には、必要以上に。
 こんなに苦労が絶えない国に住んでいる限り、刹那的にならざるをえない。
 <ドルチェ ヴィータ(=甘い生活)>というわけにはいかないよ。

 食事に呼ばれて呼んでを繰り返すうちに、相手がいつもハイな状態ばかりでないことがわかり、弱い部分が見えてくる瞬間がある。
 いったん<その瞬間>にたどりつくと、あとは堰を切ったようにグチが、悩みが、哲学的迷いが次々と湧き出して、それは止まるところをしらない。
 そうなると食卓は、一気に互いの<不幸比べ>の場と化し、本当にイタリア人て暗いなとため息が出るばかりとなる。

 さて、数をそれなりにこなすうちに、食卓での話題の展開はたいてい決まったパターンがあるらしいと気がついた。
 まるでマニュアルに沿うがごとく進行するので、高みの見物の気分で聞いているととても楽しい。
 食事開始。
 各自の近況報告的な話題、
 他人の噂話、
 新情報、をひとしきり話した後、
 現在の政治状況がいかに堕落していて、何がどうだめかの話になる。
 これは文化度の高低を問わず、必ず大討論になる。
 口角あわを飛ばし、とはまさにこれ。
 その音量の大きさたるや、耳をつんざくばかりである。
 というのも、全員が興奮して、意見をほぼ同時に言い合うから。
 さらにそういうとき、イタリアでは暗黙の了解で声の大きい人が発言権を得ることになっているらしい。
 相手を制して自分が先に話そうとするため、音量はエスカレートする一方。
 最後は声がかれてしまっている人もいて、たいそうなことこの上もない。
 「イタリア式食卓会話」に馴染みの薄い外国人など、こういう呶鳴り合いには怯えきってしまう。
 喧嘩にしか見えない。

 それぞれ言いたいことを言い合ってすっきりしたらその次は、どれだけイタリアが、そして自分たちイタリア人が、さらに己が、いかに情けない存在かについての嘆きの洪水が始まる。
 延々と続くが愚痴り方にも個性があって、まるで芝居を見るよう。
 あまりにも清国に嘆くので、そんなにイタリアは危ないのか、そんなにあなたは苦しいのか、と一度心配になって尋ねたことがある。

 ハツハツハツ。
 心配するな。
 深刻ぶったり、被害者ぶったりするのが、僕らは好きなんだ。

 だそうで。





[◇]
 大きなモールには各国のレストランが軒を連ねている。
 レストランといえば中華とイタリアンがもっともポピラー。
 そしてうるささもこの2つ。
 中でも他を圧倒的に引き離して、とてつもなく騒々しいのがイタリアレストラン。
 はた迷惑な「夜の大騒音」といってもいいほど。
 日本風の「食事は静かに楽しむもの」なんてのは何処吹く風。
 まるで時間の空白に恐怖しているがごとく。
 一時の静けさですら、地獄に落ちるかのごとく感じる人種なのかとも思ってしまう。
 群れていないと寂しくて寂しくてたまらない、といった風。
 個性の表出というよりも、心理的空白を埋めよう埋めようやっきになっているようにも見える。
 埋めても埋めても、次から次へと空白が滲み出てきて、ひたすら駆けて続けている。
 この騒がしさに顔をしかめて、イタリアレストランの周囲にはお客は近寄らない。
 イタリア租界の雰囲気が濃厚に周囲を覆ってしまうのだ。
 この風景を見ると、イタリア人は陽気というより、「寂しさの裏返し」の方が正しい表現のように思えてくる。
 日本人の対極に位置する特異人種である。
 ちなみに、この街のステーキで一番おいしかったのは、無愛想で無口の怖そうなオバサンと、それをとり返すかのようにひじょうににこやかで愛想のいいオジサンがやっていた小さなイタリアレストランのものであった。




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: 左官屋パラーデイオ、建築家になる


● 2000/06[1995/06]



 時は16世紀。
 ルネサンス時代。
 海運業が零落し、次の活路を領土拡大に求めたヴェネツイア。 
 まず手始めに隣国ヴィチェンツアを侵略した。
 そして征服した証に、街の景観をヴェネツイアそっくりにしてしまった。
 ヴィチェンツアの貴族は、悔しくて悔しくて
 とはいえ、簡単にどけてしまうわけにもいかない。
 モノはなにせ広場まるごとなのである。

 「ヴェネツイア人が、この世で一番嫌いなものはなんだろう?」
 ヴィチェンツアの貴族は、毎日考えた。
 「ローマである!」
 ずっと商売に、つまり海賊業、に明け暮れていたヴェネツイア人は、異国の文化(つまり、略奪してきたもの)と新しい情報をたっぷり手に入れて、しかも金満家だ。
 ところが自分たちの独自の文化といえば、ゼロに等しい<貧乏>ぶり。
 一方、ローマといえば、イタリア半島の歴史が始まって以来、脈々と続く濃厚な文化基盤と人材がある。
 坊主憎けりゃ何とかで、ヴェネツイアは<ローマ的なもの>との接触を一切拒んでいたのである。
 「これしかない!」
 ヴィチェンツアの貴族は思った。

 ヴィチェンツアの有力貴族邸に出入りする左官屋の仲に優秀な若者がいた。
 主人はこの若い左官屋を呼びつけて、こう言った。
 「
 パッラーデイオ、明日からお前はローマへ建築の修業に行け。
 現地で、古代ローマ人の偉業をしっかり学んでこい。
 できるだけ早く優秀な建築家になるよう日々努力すること。
 費用は全て私が出す。
 かってのローマの壮大な構想を最大限に引き立てながら、現代の文化を創りだす修業を積んでくるのだ。
 これみな、ヴィチェンツアの名誉のためなのだ。

 劇作家でもあったこの貴族は、あるギリシャ悲劇の復讐を遂げる登場人物の名を左官屋にはなむけとして贈った。
 「明日からお前の名は、アンドレア・パッラーデイオとせよ」

 ルネサンス時代の大建築家パッラーデイオは、こうして世に出たのである。
 いかにもローマ的でありながら、実は全く新しいモノ創りを、と言われてパッラーデイオは必死でがんばった。
 至難の注文だ。
 こうして、巨匠古代ローマ人建築家たちの構想と技法を巧みに活かしながらも、まるで新しい建築物が、そう「パッラーデイオ様式」が誕生したのである。

 さあいよいよ<仕返し>の開始である。
 目には目を、歯には歯を。
 そして「文化には文化を」。
 パトロンが考えた仕返しは、ヴェネツイア人の大嫌いな<ローマ>を、パッラーデイオの才能で味付けをモダンにして街中にもってこよう、というものだった。
 建築の注文を受けるたびにパッラーデイオは、自分の個性むき出しの建物を意欲的に造った。
 何処から見ても、パッラーデイオ。 
 何処に建っていても、パッラーデイオ。
 斬新で強烈なその建築様式は、でもどこか<ローマ>なのである。
 パッラーデイオの行く先々に、にょきにょき<ローマ>が出現した。
 お金を出し続けた貴族は、どんなに嬉しかったことだろう。

 ヴェネツイア人は、よほど悔しかったらしい。
 当時大評判だったパッラーデイオ先生の作品は、ヴェネツイアでは街の外れの目立たないところにポツンポツンとたっているだけなのである。
 しかも小さく。
 
 「壮大な喧嘩は、壮大な文化を生む
 のですね。







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