2010年5月29日土曜日

: 自動販売機(ペンデイング・マシーン)

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● 2009/10



 私が物心ついたとき、自販機はすでに存在していた。
 唯一と言ってもいいであろうか、昭和30年ごろの自販機といえば、駅の出札である。
 10円玉を入れて重いハンドルをガタンと押すと、初乗り区間の切符が出手きた。
 ほどなくそのハンドルがなくなって、硬貨を入れると同時に切符が出る機械が出現したときには、これは大したものだと感動した記憶がvある。

 それからというもの、いわゆる自販機は雨後のタケノコの生えるがごとく街角のあちこちに現れ、ありとあらゆる品物を売り始めたのである。
 したがってそれらと肩を並べて成長した私には、異物感どころか幼馴染のような親しささえある。
 長い歴史の間には、あえてなんだとは言わぬが、自販機だからこそつくづく有難かったものとか、パロデイとしか思えぬ一発屋とか、存在理由がどうしても理解できぬ変わり種とか、いろいろあったのだけれど、そうしたキャラクターもまたともに育った友人と同じだった。
 いきおい若い人たちからすれば、自販機社会は既成事実であり、自然環境に等しい。
 むしろこんな便利なものが、なぜ外国には少ないのだろうと誰もが首をかしげるにちがいない。

 ところで、ふと思い返してみるに私が初めて海外に出た昭和40年代末のことだが、ホノルルのアラモアホテルのエレベーターホールには、日本のそれと同じ清涼飲料水の自販機がたしかにあった。
 缶コーラが25セントだったことも覚えているのだから、まちがいではない。
 つまりそのころには、日本製か米国製かはしらないが、少なくともハワイには自販機が導入されていた。
 しかしほどなくそれらは姿を消してしまい、このごろになってようやくあのバカでかい、それこそ中に人が入っているんじゃないかと思えるようなコーラの自販機が、世界中の都市のあちこちでちらほら見受けられるようになった。

 さて、この不可解な空白はいったいどうしたことであろうか。
 万事において合理性を追求するアメリカ人が、いったん導入した自販機文化を発展させなかった理由が、治安のよしあしばかれであるとは思えぬ。
 少なくともホテルの中に設置した自販機をあえて撤去する理由はあるまい。
 そこで私は、この便利な機械文明が日本だけ栄え、諸外国ではさほどに進展しなかった理由について考え直してみた。

 生活に必要な品物の売り買いというものは本来、両者が対面してこれを行うという常識と道徳がなければならぬ。
 もしや日本人はその世界的な常識と道徳とを無視して、単純に物とお金とを交換するという合理主義に走ったのではなかろうか。
 だとすると、香港の良識ある新聞が、
 「少子化対策のため」、あるいは
 「移民の労働を代行するため」
と規定した自販機の存在理由も、むしろ好意的な対日本人観と思える。

 たぶん私たちはめくるめく高度成長期に、アメリカの合理主義を超越してしまったのであろう。
 自販機がかくも増殖した本当の理由は、日本人の機械好きでも、日本社会の治安の良さでもなく、われわれが物の売り買いにまつわる人間のコミュニケーションすらも、不要なものだと考えた結果ではあるまいか。
 懲役52年の老侠客は、明けやらぬ路上で自販機を見つめながら、しみじみとこう呟く。

 いってえ日本はいつになったら元通りになるんでござんしょう。
 戦いに負けるってのア、切ねえもんでござんすね








 【習文:目次】 



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