2010年5月29日土曜日
★ つばさよつばさ:ピラミッド:浅田次郎
● 2009/10
『
近ごろの学説によると、エジプトの巨大ピラミッドは王墓ではないらしい。
今さらそんなことを言われても、誰だって子どものころから「ピラミッドはファラオの墓」と教えられてきたのだし、百科事典の記載もいまだその通りなのだから、甚だとまどう。
正しくは「王墓ではない」とする明確な証拠があるわけではなく、「王墓である」とするには矛盾点が多いのである。
つまりわれわれは、紀元前5世紀にギリシャのヘロドトスが『歴史』の著述でそう断定して以来、「ピラミッドはファラオの墓」と思いこみ続けてきたことになる。
いちおうヘロドトスの名誉のために言っておくが、もし私がヘロドトスであったとしても、あの巨大なクフ王にピラミッドをひとめ見れば、疑いようもなくファラオの墓だと直感するであろう。
多少頭を働かせたところで、ひかの存在理由は思いつかぬのだから、やはり墓だと信ずる。
ましてや日本には、同じくらい巨大な古代天皇陵があるので連想はたやす。
ではピラミッドが墓でないとすると、いったいなんの目的で造られたのか。
この点の有力なる最新学説には二度驚かされる。
「公共事業」だそうである。
つまりナイル川の氾濫期に畑を失ってしまう農民を集めて、ひたすらピラミッド建設に従事させ、食料を給与するという失業対策事業であったというのだ。
目的はピラミッドの完成ではなく、雇用促進にあったという。
あまりに今日的な解釈という気がしないでもないが、よく考えてみればこの5千年に人類が進歩したと思われる点は、ひとえに科学的な分野においてのみであって、芸術やら思想やら社会制度は、進歩というよりへんせんといったほうが正しかろう。
明らかに退行していると思われる面も少なくない。
だとするとクフ王が失業対策に悩んだあげく、
「なんでもいいからデカものをを造れ、ともかく雇用だ」
と、命じたとしても、ふしぎではないような気がする。
施しが美徳とされるのは、ずっと後世になって宗教的な裏づけがなされからのことであろう。
プリミテイヴは王権社会では、
「働かざる者、食うべからず」
という理念があったはずである。
もしこれらの最新学説が正しいとすると、ファラオはましてや偉大である。
かれらの公共事業は雇用促進の目的を達成したばかりでなく、それから5千年の長きにわたってエジプトのシンボルであり続け、いまだに年間二百数十万人の観光客の招致と膨大な外貨獲得に寄与している。
そう考えれば、もしかしたらわが国の天皇陵も中国の万里の長城も、失業者対策という目的を持っていたのかもしれない。
今日の政治がまさか古代エジプトより劣っているとは思えぬが、人類が徐々に目的達成のダイナミズムを失ったことはたしかであろう。
後世の人々はみな、古代ギリシャ人でさえもファラオのダイナミズムに思い及ばず、「ピラミッドはファラオの墓」としか考えつかなかったのではないだろうか。
ヘロドトス依頼の思いこみは、言をかえれば
「人類社会は進歩している」
という思いこみである。
』
【習文:目次】
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