2010年4月10日土曜日

★ 月下の恋人:『月下の恋人』補遺:浅田次郎


● 2009/09



 このごろの小説は季節感が希薄になった。
 むろん、よほど特殊な設定の短編小説でないかぎり季節の設定は行われているのだが、そもそも風景描写が少なくなったせいで格別の意味は持たない。
 
 理由は二つあると思う。
 一つは私たちの現実生活が天然から乖離したせいであろう。
 昔ほど暑さ寒さを肌に感ずることがなくなり、雨に打たれもせず、風に吹かれもせずに暮らしているのだから、あえて小説の中に季節感を盛り込むほうが、むしろ不自然であるともいえる。
 もう一つは翻訳小説の影響ではなかろうか。
 截然(せつぜん)たる四季に彩られた日本では、古来その背景を描かなければ物語りは成立しえぬと考えられており、事実その通りに書き継がれてきた。
 文学の主役は人間ではなく天然であったと言っても良いほどである。
 一方、欧米の小説はそれほど天然に依拠するわけではないから、伝統的な日本文学よりも翻訳小説を愛読して育った世代からは、四季の風景画必要ないものとして斥けられるのもまた当然であろう。。
 しかし、これが文学の正しい変遷であると断ずる勇気が、私にはない。

 このほど上梓した短編集『月下の恋人』を改めて通読し、われながら何とまあ古くさい小説ばかりであろうと呆れた。
 ただしこの古くささが悪いと思ったわけではない。
 私は私の作品の正当性を信じているし、これ以外の手法は使いようがないのだから仕方あるまい。
 どの短編も。まず冒頭に俳句のごとき季語を据えなければ話がはじまらぬ。
 主役は季節であり、登場人物たちはその風景の中を動きまわる。
 はたして若い世代の読者が、こうした結構を持つ小説に納得するであろうか、と私は懸念した。
 だが重ねて思うに、これ以外の手法は使おうにも使えぬのだから仕方がない。
 そう思い定めて、表題は『月下の恋人』とした。
 雪や時雨や、蛍火や秋虫のすだきや、自然から遠のいた読者にはうんざりするような様々の風景の中でも、とりわけこの短編群には満月のイメージが濃いと感じたからである。

 11編の掉尾には、「冬の旅」と題する私小説ふうの小品を据えた。
 中学3年か高校1年か定かではないが、文学を志していたそのころの私は、モリエールの一行に呪縛されていた。
 「自然(ファジス)は善美と調和を生み、不自然(アンチ・ファジス)はあらゆる破綻を生ぜしめる」
という言葉である。
 どうしたわけかこの難解な一文が、私の胸をがんじがらめに縛めており、この文意を解明せねば一歩も前に進めぬ気がしていた。
 川端康成の『雪国』 に憧れていたのはたしかだが、正しくはこのモリエールの言葉を胸に抱いて、15歳の私はおろおろと冬の旅に出たのだった。
 車窓から雪景色を眺めているうちに、思いもかけぬ結論を見た。
 東京の街なかに育った私は、そもそも善美の母体たる自然を知らなかったのである。
 この胸にしみ入る自然の美しさ灼(あらた)さを信じさえすれば、小説家になることができるのだと思った。
 あの冬の旅で越え難い国境の峠を越えた渡しにとって、以来日本の四季と自然は小説の主人公となった。

 小説のかたちは時代とともに変容する。
 おそらく私の小説は、内容もさることながらこの大時代な文章も、さまざまな誤解を受けているにちがいない。
 あるいは多くの読者が、時代の早瀬に取り残された私を、なかば嘲笑しつつ気の毒がって顧みているような気もする。
 しかしやはり私は、モリエールの言葉を信じ、かつ川端康成が横光利一に誄(るい)したように、父母なる日本の山河を書かずにはおれない。

 (『本が好き!』2006年6月号より)









 【習文:目次】 



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