2010年7月12日月曜日

: 「人間はみな平等だ」という大ウソ

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● 2009/04[2007/03]


『
 そもそも親子が仲睦まじいというのが、俺には耐えられない。
 父ちゃんなんてもんは、煙ったくて、オッカネエくらいでちょうどいい。
 マイホームパパなんて、いつもニコニコ笑っていて、子どもの気持ちがよくわかる、ものわかりのいい父親が理想だなんてことになった頃から、どうにも教育がおかしくなってきた。
 子どもの気持ちなんて、そんなものは、大人なら誰にでもわかっている。
 どんな大人だって、昔は子どもだったのだから。
 でも、「駄目なものは駄目」なんだと父親が教えてやらなきゃいけない。
 そういうことを教えてやれない、物分りのいい父親が多すぎる。
 オヤジがガキに媚を売ってどうする。
 結局は自分が可愛いだけのことじゃないか。
 父親っていうのは、子どもが最初に出会う「人生の邪魔者」でいいのだ。
 子どもに嫌われることを、父親は恐れちゃいけない。

 中学時代に、近くにお金持ちの子どもが行く市立の進学校があった。
 頭はいいし、女の子にもて、制服までが洒落ている。
 野球の試合をすると、こっちは馬鹿で貧乏で、しかも格好がダサイ。
 グランドで向いあった瞬間から、皆うなだれるしかない。
 おまけに、肝心の試合までコールド負け。
 その私立校は、野球がむちゃくちゃ強かったのだ。
 何一つとしてかなわない。
 徹底的に打ちのめされるだけだったのだ。

 「人間はみな平等だなんていうウソ」を、あの頃から叩き込まれてきた。
 そもそもウチの近所のなんて、子どもが「医者になりたい」なんて言えば、親は「無理だよ、オマエは馬鹿なんだから」。
 「新しいグローブが欲しい」と言えば「駄目だよ、ウチは貧乏なんだから」。
 それで終わり。
 「馬鹿と貧乏」の2ツで、ほとんどの問題が解決していた。

 「一所懸命努力すれば、きっとできる」なんてことは絶対言わない。
 「オマエは馬鹿なんだからやめときなさい」
 「学校なんて行かなくていいよ、どうせアタマがわるいんだから」
 「欲しけりゃ、大人になって金持ちになったら買いな。ウチは貧乏だから買えないよ」
 そういうことの繰り返しだから、子どもは自然と自分の分というものをわきまえるようになる。
 諦めたり、我慢したりすることを、当たり前のこととして憶えていくわけである。
 要するに、「本当に貧乏だった」のである。
 けど、そうやって子どもに我慢を教えることが、一つの教育であることを、たいがいの親は知っていた。
 なぜなら、子どもが大人になったとき、そこに待っているのは、「駄目なものは駄目」な世の中だから。
 世間の風は冷たくて、我慢出来ない人間は、落伍するしかないということを、誰もがよく知っていた。

 子どもは素晴らしい、子どもには無限の可能性がある。
 今の大人は、「そういうふざけたことを言う」
 子どもがみんな素晴らしいわけなどあるはずがないだろう。
 残酷な言い方だが、
 「馬鹿は馬鹿だ」。
 足の遅いやつは遅いし、野球がどんなにすきだって、下手なヤツはどんなに練習しても下手なのだ。
 そんなことは分かりきっているのに、世の大人は平気で、本気で努力すれば誰でも一流になれる、なんていうウソを臆面もなく言う。
 そうじゃないだろう。
 「才能のある人間」が、誰よりも努力して、「ようやく一流になれる」という話だろう。
 才能のないヤツがどう頑張ったって、屁の役にも立たないのだ。

 受験にしても、社会に出てからの競争にしても、少し先には完全な勝ち抜き戦が待っているというに、だ。
 その中で戦っていかなきゃならんのに、誰でも無限の可能性があるなんていうことにしてしまったもんだから、逆に、落ちていく人間に対しては、その大半だが、愛情のかけらも持たなくなる。
 「誰でも無限の可能性がある」という前提では、オマエの「努力が足りない」という結論になってしまう。
 どんなに努力したって、できないヤツはできないのだ。
 なんでも努力のせいにして、「人間には本来、差がある」という現実をウヤムヤにする。
 おかげで、今の子どもは、その努力すらしないで、夢さえみていればいつかかなうと思うようになる。
 となれば、少し年を経ると「自分探し」に向かわざるをえなくなってくる。

 そういう子どもの状態で、いきなり社会にほっぽり出されるから、アタマがおかしくなる。
 自分の思い道理にならないことを、何でもかんでも人のせいにする。
 それで慌てて、ウチの子どもはどうしたらいいんでしょうなんて、テレビの電話相談なんかに泣きついてくる。
 そんなヒマがあったら、自分の子どもに「オマエなんかにゃ無理だったんだよ」と言ってやれよ、と思う。
 「オマエが間違っているんだよ」と。

 努力すればなんとかなるなんて、おためごかしを言っていないで、子どものころからちゃんと叩き込んでおいてやった方がいい。
 「人間は平等なんかじゃない」
 「お前には、その才能がないんだ」
と、親が子どもに言ってやるべきなのだ。
 いくら努力したって、駄目なものは駄目なんだと、教えてやらきゃいけない。
 そんなことを言ったら、子どもが萎縮してしまうって。
 自分の子どもが、何の武器をもっていないことを教えておくことは、ちっとも残酷なことじゃない。
 せめて子どもが世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心を育ててやるしかない。
 子どもの心を傷つけることを恐れちゃいけない。

 欲しいものを手に入れるには、努力しなきゃいけない。
 だけど、どんなに努力しても駄目なら諦めるしかない。
 それが現実なのだといことを、子どものうちに骨の髄まで叩き込んでおくことだ。
 それが、父親の役目だろう。
』






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: 死んだらどうなるか、死ねば答えが出るだろう

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● 2009/04[2007/03]


『
 神様を信じていようといまいと、「死ねば答えがでる」わけだ。
 死んだらどうなるか。
 それは誰にだってわからない。
 死後の世界を見た、とかいう話のあったけど、あれは死んだのではなくて、あくまでも限りなく死につかづいたということだけの話だ。
 完璧に死んでしまってから、この世に戻った人はいない。
 つまり、こういうことだ。
 死んだらどうなるかを、実際に体験して知っている人間はひとりもいないということだ。
 
 誰でも、最後は死ぬわけで、死ぬのは恐ろしいけど、その反面で面白いこともある。
 「死ねば、死んだらどうなるかが、わかるのだ」
 正確にいうなら、「わかるかもしれない」、か。
 というのは、死んでしまったら何もわからなくなるという可能性もある。
 人が死んだら、バラバラの元素に戻るだけで、わかるとかわからないとかいう前に、存在そのものが消えてしまう、という考え方もある。
 どんなことにも、「解答を求めてしまう理科系人間」としては、この結末がいちばん情けない。
 「答えはわかりませんでした」
という答えが、正解なのかもしれないが、勘弁して欲しい。
 ただ、情け無いけど、その可能性がいちばん高いかな、とは思う。

 それこそ理科系的に考えれば、結局は無に還るだけ、元素に戻るだけなんだろう。
 人間の意識というものも、結局は物質から構成されているものから出てくるのだとしたら、元素がバラバラなった時点で、その存在は消えるということだけのことだ。
 恐山のイタコが、あの世から魂を呼び戻すなんていう話は信用していない。
 魂とか霊なんて、人間の想像の産物だろう。
 基本的にはそう考えている。
 でも完璧にそう信じているわけでもない。
 心のどこかには、もしかしたら、という思いがある。

 最先端の物理学の本を読むと、量子力学の不確定性原理なんていって、
 「あらゆるものは振動である」
だとか書いてある。
 そうすると、人間の思考ってやつも振動で、魂も同じように、目に見えないけれど振動であると考えたら……。
 地球には、これほどウルサイ星はないってくらい、宇宙空間に電波を放射している。
 その電波も振動であって物質じゃない。
 「物質じゃないないものが、この宇宙には確かに存在している」
 それなら、人の魂だって、物質としての肉体が滅びたあとも、その振動状態で存在しているかもしれない。
 荒唐無稽な話といえばそれまでだ。
 けれど、少なくとも、死ぬということは、その荒唐無稽な考え方が正しいか正しくないか、死んだ後のことがわかるかわからないか、の賭けに出るということでもある。
 「それだけは、ちょっと楽しみだなと思う」

 世界は今頃になって、地球温暖化のことを騒いでいるけれど、ほんとはもっと昔から、いろいろな事が起きているはずなのだ。
 微妙な変化が積もり積もって、それが誰にだってわかるくらいのおかしな天気になって現れているわけだ。
 すでに、かなり手遅れなんじゃないかな。
 何でもそうだけど、おかしいということに気がつくのは、たいてい手遅れになってからなのだ。
 なんとなく心の底でそう感じているのは、俺だけじゃないはずだ。
 「手遅れ」という言葉はきついけど、もう行き着くところまでいって、
 「なるようになるしかわからない」
とわかっているんだと思う。
 少なくとも、今の世界情勢を考えれば、この地球上の六十数億人が手に手をとって、世界を滅亡の淵から救おうと立ち上がるなんて未来は、残念ながらとても想像することはまるでできいない。
 滅亡の危機に気づいたときには、いくらなんでもまい合わないだろうことは、容易に想像できる。

 俺もそうだけど、結局誰もが不安を抱えながら、
 「自分が死ぬまでは、なんとか保つだろう」
っていう、その程度の考えでいるわけだ。
 子孫の代のために、なんとかしてやりたいって気持ちもなくはない。
 だけど、その方法がわからない。
 明日から電機を使わない、クルマに乗らないとか、そういうことができるのか?
 そもそも、「その程度のことで、なんとかなる問題なのか?」
 何もしないよりマシというけど、何もしないほうがマシということも、現実にはあるんじゃないか。
』






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: 友達なんていなくても人は生きられるのだ、とどうして教えない

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● 2009/04[2007/03]


『
 人類がこの地球に出現して、どのくらいたったか知らないが、みんな死んでおり、死ななかった人間はひとりもいない。
 人間は誰でも死ぬ。

 「人生のゴールとは死ぬこと」なのだ。
 競争なら、早くゴールに着いた方が勝ち。
 だったら、「早く死んだ方が勝ち」じゃないか。
 「人生は、長生きすりゃいいてもんじゃない。」

 子どもがイジメられて、仲間はずれにされて、自殺するという話をやたらと聞く。
 イジメがどうのという問題じゃない。
 仲間はずれにされたら生きていけない、と考える子どもが増えているということだ。
 ということは、クラスのメンバーであることのほうが、生るとか死ぬってことよりも重要だと、子どもが感じているということだ。
 なのに、大人は誰も、
「
 友達なんていなくても、人は生きられるのだ
」 
 というすこぶる簡単なことを言ってやらない。
 個人とは、個性を大切にするのが現代社会の特徴だ、なんてみたいなことを言うけれど、現実はその反対だ。
 実際には、個人の命が社会という巨大な機械に組み込まれた部品の一つになっている。
 しかもその個人の代わりはいくらでもいるのだ。
 だから、クラスのメンバーであることが、生死よりも大きいものだと感じるようになる。

 戦争が終わって、人は自由になった。
 自由になった個人は、自由になった自分にすごい不安をいだいている。
 「なんでも自由にやっていい」と言われた途端、何をしたらいいかわからなくなってしまった。
 だから、誰でもいいからリーダーにくっついていこうとしたり、なんとしてでも友達の輪の中に入れてもらおうとする。
 だから、
「 自分はいったいだれなんだろう 」
ということで、「自分探し」とかが、今の若い人のテーマみたいになっている。
 誰かに
「 お前は◯◯なんだ」
と言ってもらわないと、自分が何者だかわからなくなっている。
 若者が性懲りもなく、わけのわからない宗教だの教祖だのに騙され続けるのも、「金で買えないものはない」なんて下品なことをいう金の亡者がヒーローになってしまうのも、子供たちが自殺するのも、その根源には同じ問題があるのだ。

 だいたい、今の社会は、
 「人生とはなにか」
 「人の生きる意味は何か」
みたいなことを言い過ぎる。
 それが強迫観念となってしまっている。
 そんなことを言う、
 「大人が悪い」
のだ。
 自分たちだって、生きることと死ぬことの意味なんて、絶対にわからないくせに。

 天国や地獄が本当にあるかないか、神様がいるかいないか、誰も証明したことがないわけだ。
 そういう曖昧な状態なのに、
 「生きる意味を探せ」
なんて言われたら、だれだってまように決まっている。
 自分の能力だけで、その迷いから抜け出せる人間なんて、ほんの一握りしかいないのだ。
 宗教というのが生まれたのも、つまりは、そういうことがわからないからだ。
 もし、「死ぬことが怖くない」ということになったら、宗教なんてお払い箱になる。
 人が宗教に頼る最大の理由は、やっぱり「死への恐怖」なのだ。
 死後の世界は誰も知らないから、それを教えてくれる宗教を求めるわけだ。
 そして、「天国と地獄という概念」が生まれたわけだ。

 すべての宗教がそうだと言うつもりはないが、大昔からそうやって金儲けをしてきた人々がいるのは事実だろう。
 天国と地獄があるとか、神様がいるとjかいう話は、物心がつく前から、心に擦込まれてしまっているのだ。
 キリスト教だの仏教だのを信じるとか信じないとかいう前に、周りからそういう話を聞かされて子どもは育つのだから。
 神という言葉を頭の中から取り払うのは、ほとんど無理なんじゃないんだろうか。
 その言葉が頭の中にある限り、完全に信じてはいなくとも、心のどこかにそういう存在が絶対にいないとはとは限らないという思いが残るのだ。
 もっとも、いわゆるキリスト教的な神は、俺にはあまり馴染みがない。
 昔の日本人がよく行ったように、
 「お天道様が見ている」
という言い方のほうが、おれの心にはしっくりする。
「
 何をするのもお前の自由だ、でもお天道様が見ているんだよ
」
という感覚が、神様と人間との関係で言えば、いちばん理想的な距離感だと思うのだ。
』






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2010年7月9日金曜日

★ 全思考:死ぬことが、怖くてたまらなかった:北野武


● 2009/04[2007/03]


『
 死ぬのが怖くて、どうにもならない時期があった。
 高校から大学にかけて、毎日のように「死について」考え、死ぬことに怯えながらいきていた。
 臆病者が微かな物音や何かの影に冷や汗を流しながら、夜の墓場を散歩するみたいなもんだ。
 些細なことに気を病んで、自分は癌になったんじゃないかと思い込む。
 このまま死んでしまったらどうしよう。
 そういうことばかり考えていた。

 死んだって話を聞いて、俺の心に浮かんだのは「ああ、アイツは死んだんだ」という、ただそれだけの感想。
 人が死んでも、世の中には何の変化もない。
 ただそいつが「イナイ」ってだけの、昨日と同じ今日が眼の前にあるだけ。
 それだけのこと。
 その呆気なさが、身に応えた。
 人が死んだら「ただいなくなるダケ」だと知った。
 天国も地獄もあったもんじゃない。
 そして、生きている人間の記憶から、死んだ人間はいとも簡単に消えてしまう。
 結局のところ、心に浮かぶのは「ああ死んだんだ」なんて、あまりにも簡単な思いだけ。
 生きている人間は、死者とは無関係の世界を生きていく。
 その殺伐とした事実に、ひどく衝撃を受けた。
 ああ死んだんだ、それで終わりよって。
 だから、死ぬのが怖くてたまらなかった。
 だけど、どうすりゃ自分だけ死なずにいるなんてことができるだろう。

 人の生き死には、ただの「運」だ。
 運ということは、自分だっていつ死ぬかわかったもんじゃない。
 今、自分が死んだら、きっと何も残ならない。
 「北野武」という人間が生きていたなんてことは、地面に落ちた雨粒の一滴が、あとから降ってくる大雨の中であっさり消されてしまうみたいに、すぐに忘れ去られてしまう。
 あっさりと忘れられてしまうくらい、自分の人生が空っぽということが、無性に恐ろしかった。
 何もしないまま、ナイナイ尽くのままで死ぬのが、嫌でたまらなかった。
 自分がちゃんと生きたという感覚が、どこからも沸いてこなかったのだ。
 
 死んだら人間はどうなるとか、天国や地獄があるかとか、形而上学的な問題を思い悩んでいたわけではない。
 自分が「生きているという快感」がないまま、生きたという記憶もないまま、この世から消えるのが怖かったのだ。
 快感といっても、必ずしも楽しい思いとは限らない。
 たとえ酷く苦しい体験だったとしても、自分がいきているということが味わえれば、それでよかった。
 あの頃恐れていたのは、「死そのもの」というより、じぶんの思い通りに生きられない、窮屈で退屈な人生だったかもしれない。
 もっとも何がしたいとか、どんな人間になりたいとか、あるいはこういう生活がしたいとか、そういう具体的なビジョンがあったわけでもない。
 むしろ、そういうものが何にもないことが怖かった。
 何をしたらいいかもわからないまま、川の流れに呑み込まれるように人生を生きて、死んでいいものなのだろうか。

 母親のことは、今までにさんざん話してきた。
 一言なんかじゃとても説明できないけれど、ともかくよく働く人で、そしてこれ以上はないというくらいの現実家だった。
 芸術とか哲学とか文学とか、そういう類のモノの価値を、あの人は全く認めなかった。
 そんなものは「人生の無駄遣い」いであった。
 今になって考えれば、それはそれで一つの知恵だし、哲学といっていいくらいの「一つの思想」だった。
 俺は物心ついた頃から、そういう家で育ったわけである。
 父親は典型的な下町の職人だった。
 とにかく子どもの頃から親父とまともに会話した思い出がひとつもない。
 ほんとに小さな頃、一度だけ江ノ島の海に連れて行ってもらったことは覚えているけど。
 ペンキ屋の職人で、仕事場と飲み屋と家を、ハンコで押したみたいに行き来して、稼いだ金はあらかた飲み代に消えていたんじゃないかと思う。
 そんな調子だから、ウチの生活はお袋を中心に回っていた。
 生活も家計も、子どもの進路も何もかも、お袋が決めていた。
 昼は土木工事のヨイトマケ、夜はおそくまで内職。
 そういう生活の中で、あの時代に、息子3人を大学に通わせ、娘も高校にいれた。

 お袋の考えは俺の進路は、理系の大学を出て、どこか大きなメーカーに就職するという以外にはあり得なかった。
 そしてその決定は、家族にとっては絶対だった。
 だから俺も明治大学の理工学部に入った。
 このときは、このまま普通に大学を卒業して、堅気のサラリーマンになるものだとばかり思っていた。
 このために母親がどれだけ金を工面して、俺を大学に通わせているかをよく知っていた。
 兄貴が自分の学問を犠牲にしてまで助けてくれているのも、わかっていた。
 母親が考えた以外の選択肢なんて、自分自身にも考えられなかったのだ。
 俺自身の脳みその働き方は、かなり理科系的だ。
 今でも数学の問題を解くのは楽しみだし、オイラーの法則とか非ユークリッド幾何学なんて話を聞くと妙に心が騒ぐ。
 もし数学者になっていたら、どんな人生だったろう、などと夢想してしまうのだ。
 映画監督という、昔には思っていなかった仕事をするようになっても、やっぱり俺は理科系だなと思う瞬間がある。
 シナリオを書いていて、因数分解みたいな作業を無意識のうちにやっている自分に気づくのだ。

 4年生のときが1970年。
 大学は60~70年安保で、学生運動の真っ盛りだった。
 大学なロックアウトされていて、授業はほとんど休講。 
 卒論さえだせば卒業させてやる、と言われる時代だ。
 世の中高度経済成長で、音楽とか演劇とか、文化的なものが世の中に溢れはじめていた。
 俺も大学には行かずに、新宿あたりのジャズ喫茶に入り浸っていた。
 ジャズ喫茶での話題といえば、実存主義が花盛りで、サルトルとかボーヴォワール、それからコリン・ウイルソンなんていうのが人気だった。
 理工学部機械科の学生には、とにかくチンプンカンプンは世界だけに、それだけ憧れが募った。
 俺がすらすら喋れる話題といえば、ホンダのエンジンがどうしたこうしたというくらいなものであった。
 理科系の大学を出て、大手メイカーに就職するのが人生の成功コースだという、戦後ずっと続いてきた母親じこみの価値観が、ジャズ喫茶で遊んでいると、とんでもない時代遅れに思えたりもした。

 ある日、いつものようにジャズ喫茶のある歌舞伎町に向かうとき…。
 ふと、とんでもないことを思いついた。
 「そうだ、大学をやめよう」
 どこからそういう考えが降ってきたかは、よく憶えていない。
 母親がどれだけ苦労して、俺を大学に通わせているかを考えれば、4年生にもなった今ここで大学をやめると言い出すことが、どれほどの心痛を与えるかはよくわかっていた。
 それは、それまで俺を育ててきた「母親を捨てる」ということだ。

 自分のことを考えても、あの時期に、あれほど死を恐れていなければ、ああいう決断を下せたとは思えない。
 もしかしたら、いつまでも巣立ちできずに、母親の敷いたレールの上を歩いていたかもしれない。
 もっとも、あのまま母親の思い通りに人生を送っていたとしても、それで不幸になったかどうかはわからない。
 ビートたけしという芸人が、このよに存在しなかったことだけは確実だけど。
 どれはまた別の話だ。
』




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2010年7月8日木曜日

★ アニメ文化外交:日本人が気づかぬうちに:櫻井孝昌

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● 2009/05



『
 われわれ世代はは欧米のエンターテイメントコンテンツに関して、どこかにコンプレックスを持っており、自分たちのものがユーロッパやアメリカで受け入れられるわけはない、と思っている。
 コンテンツ業界のある年代以上の方でも、そうおっしゃる方は多い。

 アニメが世界で受けている」理由はいくつもあげられるが、その大きなポイントは、
①.物語の深さ
②.キャラクターの魅力
 の2つをあげることができる。
 まさにこの二つこそが、
 「アニメーションは子どもが観るもの」
というアニメーション業界に歴然とあった呪縛からアニメを解き放ち、世界に冠たるコンテンツに成長させていった原動力なのである。

 1970年代以降、世界各国に放送局が増え始めた。
 と同時に、日本のアニメーションが世界各地で観られるようになった。
 理由は簡単。
 放送枠すべてを埋めるだけの番組を作ることが難しく、放送枠を埋めなければいけない放送局に、もともと国境を越えやすいコンテンツといえる日本製のアニメーションはまさにうってつけの存在だったのである。
 輸入された日本のアニメーションを時刻の制作物として見ていた人がたくさんいたのが、このころの話である。
 無国籍なキャラが多数登場してくるのは、日本のアニメーションの特徴のひとつでもあったから、そう誤解する人が多数いてもなんら不思議な現象ではないだろう。

 こうして、日本のアニメーションは着実に世界の人に当り前の存在になっていった。
 アニメといえば日本製のアニメーションを指すようになっていったわけだが、当たり前になると同時に、当然ながらアニメに馴染んだ年齢層は上へと広がっていく。
 世界のアニメーション制作会社が相も変わらず"アニメーションは子どもが観るもの"という常識に縛られているなかで、映像表現のの一手法としてアニメーションを捉え、その可能性を追い求め、年齢の呪縛にとらわれず、クリエーターが作りたい作品を作り続けたのが日本のアニメ制作会社である。
 多数のキャラクター同士が複雑にからみあい、「主人公が成長していく」といった物語を醍醐味とするアニメが世界中に受けいれられていくのは
 "乾いたスポンジに水が入っていくようなもの"
だったのだ。

 20世紀の映像系エンターテイメントコンテンツの世界は、アメリカ型グローバリズムを中心に動いていったといっても過言ではないだろう。
 ハリウッドの映画やデイズニーアニメーションは世界中の映画館やテレビで上映され、エンターテイメントの中心は大方の場合そこにあった。
 ハリウッド映画やアメリカのテレビ番組を週に何本も観ながらその時代の人は大人の階段を上っていったわけだ。
 当然ながら、そうした映像で知ったこと、感じたことが個人のアイデンテイテイを形成する血になり肉になっていったことは間違いない。
 アメリカという国は、ハリウッドの映画やロックミュージックを通して、言ってみればどこか父親や母親のような存在になってしまっていたのである。
 これと同じ状況を現在まさに世界にもたらしているのが、日本のアニメだと私は感じている。
 私にとってのハリウッド映画やロックンロールは、彼らにとってのアニメーションだったわけである。
 
 ではなぜそうなったのだろうか。
 改めて述べれば、それは
 「アニメーションは子どもが観るもの」
という世界の常識を、世界全体レベルでいえば、
 「唯一無視してアニメが作られて」
いたからである。
 子ども時代に親しんだアニメを少年少女時代になっても観たい、高校大学生になっても観たい、大人になっても観たい、そんな欲求に「日本のアニメだけが」が応えてくれたわけである。

 では、アニメは、そうした状態をあらかじめ予測して作られていたのであろうか。
 答えは「否」である。
 アニメの特徴に「多様性」があるという点は前述したとおりであるが、まさにそれゆえに子どもが観るものから大人の観るものまでアニメは作られているのである。
 ただし、重要な点は、戦略的に多様なタイプのものが作られたのではなく、結果としてそうなったということである。

 アメリカの映像エンターテイメント産業のグローバリズム戦略では、世界をマーケットに、基本的に最大公約数的な発送で作品が作られることが多い。
 とくに、「国境を越えやすい」アニメーション作品に対しては、なをさらそう考える。
 となると、「アニメーションは子どもが観るもの」という世界の常識にそって、アニメーション作品は作られていく。
 その延長線上で、「親が見て"も"楽しいもの」であればなおさらよいわけだ。

 ところが、日本においてのアニメ制作は、基本的にきわめてローカリズムの考え方に基づいて行われてきた。
 つまり、日本の視聴者を対象にし、自分たちが作りたいもの、観たいものを作る、という考え方でアニメを作成してきたわけである。
 したがって、ここには「アニメーションは子どもが観るもの」という視点・前提が存在していない。
 そのため、子どもが観るもの、大人が観るもの、子どもも大人も楽しめるものと、およそありとあらゆるパターンのアニメが作られ、「多様性」を形成していった。
 アニメ制作におけるタブーが日本では少なかった(というより限りなくないに等しい)という点も、多くのクリエイーターをアニメーションの制作に向かわせることになった。
 かくして、映像表現手段のひとつとしての可能性を求めて、多くのクリエイーターがアニメーション制作に向かうこととなった。
 脚本、作画、演出、撮影……、アニメーション制作工程のあらゆる場面において、日本のアニメーションは進化を続け、「アニメ」という世界のアニメーションのなかでも特徴的な存在になっていった。
 
 繰り返しになるが、アニメは元来、世界を向いて作られていたわけではない。
 「独自の進化形態」をたどったアニメの素晴らしさを世界の若者たちが発見してくれたわけである。
 とくに21世紀に入っての「人気の過熱ぶり」は、当の日本人自身が気づかないほどのレベルにまでなってきている。
 では、なぜ21世紀になって、急激な勢いでアニメは世界に浸透して」いったのであろうか。
 それを下支えしているのがつぎの二つである。
①.インターネットによる情報伝達のスピード
②.動画を流せる(あるいはダウンロードできる)ブロードバンド環境の整備
 である。
 が、その一方で、このインターネットによる人気の過熱は、諸刃の剣として違法ダウンロードによる売上自体の縮小という危機をも日本のアニメ業界にもたらしている。
 20世紀の映像系エンターテイメントコンテンツの世界がアメリカのグローバリズムを中心に動いていたのに対して、極めてローカリズムの概念で作られていた日本アニメが世界のマスを握ってしまったのである。

 「日本人自身が気づかぬうちに」
』








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2010年7月7日水曜日

: 「中抜き現象」

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● 2009/02


『 
 インターネットは、あらゆるビジネスに「中抜き現象」をもたらす、と言われている。
 モノの流通では問屋機能が弱体化させられいるし、ネット書店によって街の本屋さんがどんどん廃業に追い込まれている。
 
 ニュースの発信元から情報を得て、それを加工して大衆に提供する仕事がジャーナリストとすれば、大衆に直接、情報を示すことのできるネットの機能を発信元が上手に活用するようになれば、中間の処理業者であるプロのジャーナリストの役割は縮小していく。
 それを示唆する現象が出ている。
 産経新聞がはじめた「ウエブ・ファースト」では、「法廷ライブ中継」を行っているが、これがネットユーザーにはすこぶる好評なのだ。
 新聞の裁判記事は、紙面上のスペースに限りがあるたmけエッセンスに絞らざるをえない。
 「法廷ライブ中継」では、話題となった刑事事件の一言一句を細大もらさずサイト上に中継する。
 法定内からメモ書きで記事をピストン輸送し、パソコンに打ち込むので、ライブより多少の遅れは出るが、この一問一答を読み続けるという被告人の微妙な心の揺れが伝わってくる。
 これが、ネット読者に受け、アクセス数がハネ上がるというのだ。
 「法廷ライブ中継」は、ネット時代の新しい報道の在り方を開拓したといえよう。

 本や雑誌のコンテンツを、ネットに配信したり専用プレイヤーに蓄積させるという電子化もどんどん進んでいる。
 ここ数年、めざましい伸びをみせているのが、漫画をネット配信するビジネスだ。
 漫画雑誌や単行本で出版された作品の二次利用が大半だが、ケータイ向けに書き下ろし作品を発表する漫画家もボツボツ出てきている。
 漫画に限らず小説や雑誌を、ネット配信で二次利用する動きは着実に広がっている。
 最大の電子書籍販売サイトは「電子書店パピレス」で、2008年末時点で掲載刷数は9万タイトルを超えている。
 またケータイでは、「新潮ケータイ文庫」が2000年からスタートしている。
 大手出版社で電子書籍のビジネスに進出していないところは皆無といった状況である。
 インプレスR&Dの調査では、電子書籍の販売サイト数は2007年末で「577」である。
 2006年末から比べると1年で割も増えている。
 2007年の市場規模はケータイコミックを含めて「355億円」で、1年前の2006年度より「1.9倍」になっている。
 女子中高生だけという限られた年齢層には、数年前からケータイ小説がブームになっている。
 ケータイに細切れの文章が毎日ネット配信され、アクセス数が多くなれば紙の本として出版するというのが「ケータイ小説」である。
 2007年には文芸書のベストセラーの上位を席巻したが、2008年でピークアウトしたようだ。
 中高年世代は「読書はやっぱり、紙の本でなければ…」と、書籍の電子化を一蹴してしまう人は多いだろう。

 しかし、分厚くて重い事典・辞書類はすでに、「紙」よりも「電子化」の方に軍配が上がっている。
 事典辞書類の電子化は、必ずしもネット配信するものではない。
 専用のプレイヤーの中に多くの事典辞書類を記憶させるものだ。
 2003年ころから1台で使える事典、辞書の収録数が一気に増加し、すでに100冊以上の情報を蓄積しているプレーヤーも売りだされている。
 それが3万円から5万円で買えるのだから、ユーザーにとっては便利で安い。
 100冊すべてを紙の辞典辞書で揃えるとしたら、値段は20倍、30倍となり、重さはなん百倍にもなってしまうだろう。
 事典辞書の推定販売部数は2006年から2008年の3年間の平均で、年間650万冊ほど。
 その金額は約160億円で、2001年ころと比べると約3割減っている。
 一方、電子辞書の販売台数はメーカー推定では年間300万台ほどで、販売金額は約650億円。
 電子辞書は「紙」の4倍以上の市場規模になっているのである。

 カシオ計算機、シャープなどのメーカーは、英語の発音を確認できる音声機能付き電子辞書なども売りだしている。
 中学高校の英語教育の現場では、「家では紙の辞書を、学校では電子辞書で構わない」という指導がすでに定着している。
 2006年からは大学入試センター試験で英語のリスニングが導入されたことも背景にあるようだ。
 2011年度からは、小学校の5年、6年生で英語が必修化される。
 電子辞書はますます売れていくだろう。
』






 【習文:目次】 



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: 新聞の危機


● 2009/02



『 
 インターネットの原理や技術はアメリカで開発されたものであり、ネットの侵食による「紙離れ」が最も進んでいるのもアメリカである。
 国土の広いアメリカでは、日本のような宅配網はできていないので、新聞の発行部数は日本より少ない。
 2007年で「5千387万部」である。
 日本は朝刊夕刊をあわせて「6千852万部」である。
 全国紙と呼ばれるのは、USAトウデイ、経済紙のウオール・ストリート・ジャーナルぐらい。
 約1500社のローカル紙が都市に根を張っている。
 それが新手のネットビジネスに侵食され、新聞の広告ビジネスが脅かされいるのである。

 日本の新聞界はどうなのだろうか。
 21世紀に入って「新聞はネットのやられてしまう」と取り沙汰されてきたが、日本の新聞界は今や、落城前夜を迎えている。
 日本新聞協会が、加盟している新聞・通信88社から2008年1月時点で調べた結果によると、すべてがウエブサイトを開設しており、合計176サイトを数える。
 連携の動きも広がっている。
 共同通信社が音頭をとって2006年12月には、地方紙など53社が連携した「47news(よんななニュース)」がスタートしている。
 有料制のサイトは、ごく僅か。
 ほとんどの新聞社サイトは閲覧無料である。
 新聞社のネット事業で、採算がとれている会社はごくわずかしかない。
 「MSN産経ニュース」など5サイトで2008年10月に計9億2500万の月間ページビューを記録した産経だけが黒字である。
 ネット事業全体では、日経だけがなんとか黒字である。

 産経新聞社は2007年10月、
 「ウエブ・ファースト」
に踏み切った。
 マイクロソフトとの共同ブランドサイト、MSN産経ニュースを発足させるにあたり、紙とウエブの編集体制を統合し、スクープ記事も紙媒体の発行を待たずにニュースサイトに掲載することを宣言したのである。
 日本の新聞界では初めての試みである。
 日本の新聞社はネット報道に早くから着手していたが、記事の出稿はあくまでも「紙優先」だった。
 デジタル媒体用の速報記事を積極的に出そうという意識変化は起こらなかった。
 産経のようにこれだけ割り切った新聞社は他にない。
 多くの新聞社が、
 「総合メデイアグループを目指す」
などと標榜しているが、インターネットに今後、いかに対応していくか、腰が定まっていない。
 抽象論に終始しているだけで、ネット事業の具体的な経営戦略を描くに至っていない。

 ネット時代には、誰もが情報を発信できるし、ジャーナリストにもなれる。
 世の中の出来事に対し、ブログでコメントを加えれば、それはジャーナリスト活動の一つである。
 「ネット論説委員」「ネット解説委員」が巷に溢れでてきたともいえる。
 ネット上の情報と既存の新聞、テレビでの言説が交錯しながら、世論が形成されていく時代に入ってきた。
 ネットはジャーナリズムの在り方に変革を迫っている。
 既存のプロのジャーナリズムとは違った視点からニュースを発掘し、「おや」と思わす解説を加える
 「市民ジャーナリズム」
が勃興しつつあるのだ。
 市民記者が書いた記事を編集して、日々ニュースを配信する「ネット新聞」がその好例だ。
 ウエブサイトには、真偽あやふやな情報や人権侵害情報、無責任で為にする中傷などが氾濫している。
 「ネットの情報は、信用できない」
という不信感が根強い。
 ネット新聞に記事が掲載されても、謝礼はゼロか、ほんの薄謝である。
 それでも「表現」や「主張」をしたい市民はたくさんいる。
 もっとも、市民記者という呼称は素人記者と同義である。
 「事実確認が不十分」、「主観的すぎる」「ウッと思わせる、考えさせる記事が少ない」「文章がこなれていない」といった欠点が、ネット新聞にはつきまとう。
 既存の新聞社のような取材網があるわけではないから、一次情報の焼き直しが記事が多い。
 ただ、ネット新聞は誕生してたかだか数年である。
 決めつけた評価は禁物であろう。
 ヤフー、グーグルなどのニュースサイトや新聞社のサイトは、「紙の記事」の転載であるが、ネット記事は建前としてはオリジナルな記事である。
 一定の年季を経れば、ネット新聞はそれなりの影響力を発揮し、市民権を獲得する可能性がある。
 そうなると、「新聞離れ」の加速要因ともなってくる。
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 【習文:目次】 



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