2010年5月4日火曜日

: 対談 幕末よもやま 司馬遼太郎




● 2005/03[1956/**]



司馬遼太郎:
 さっそくですが、私は新選組を調べていましたとき、子母澤先生の『新選組始末記』がどうしても越えられない。
 あれを最初に読みましたとき、私はまだ二十歳過ぎでしたが、非常に鮮やかな驚きを覚えました。
 これは学問の新しい方法だと思ったわけです。
 つまり植物採集とか昆虫採集とかいう、科学の方の分類学とか形態学とかいう方法を、違った分野で使ったのが民俗学、柳田国男さんとか、折口信夫さんの民俗学でございますね。
 それと同じ方法で採集して回られた。
 新選組という、いまは幻のようになっているものを、その痕跡、その他少しでも生き残っているものがあれば、一つずつ採集して回られた。
 珍しいお仕事でございますね。
 先生を前にして答えさせるのは無意味ですけれど、やはり時代的にいって、影響がございますでしょうか。
 民俗学の‥‥

子母澤寛:
 いえ、とんでもないですよ。
 わたしはただ怠け者ですからね。
 自分で勉強しないで人の話を聞いている方が気楽だから、そういう方法をとったわけですよ。

司馬:
 ですけれど、採集しただけでなくて、その選択がえらく働いております。
 そのときの驚きというのがずっとあって、それで私が新選組のことを書こうと思ったとき、これはどうしても「始末記」を離れられない。
 ですから先生のところに来て、あれをひとつ使わしていただきますと‥‥そういうことでしたのですが、そのとき伺った生き残りの碑田某、あれは面白うござんしたね。
 先生が碑田宅へ行かれていろいろ取材された。
 そうすると、老人、だんだん新選組時代に気分が戻っていって、顔つきまで変わって、その辺りを窺うような目つきで、これは秘密のことだが‥‥

子母澤:
 「貴官が‥‥」というやつ。
 「新選組の幹部」だったろうという‥‥

司馬:
 向こうもわからなくなって、次第に錯覚しだしたのですね。
 私、今日うかがおうと思っていたことが一つございますんです。
 それは何でもないことですが、先生の作品を読んでいて、先生の場合は幕臣だったおじいさんをお持ちで、どうしても幕臣だったおじいさんの気持ちとか、美意識とか、そういうものを自分が書かなくては、という悲壮感があるように思えてならないのですが、やはりございますでしょうね。

子母澤:
 それはありますね。
 それから、少年時代にじじいのあぐらの中で年寄りの繰り言の如きものを聞かされたわけです。
 それがいまだに耳についていましてね、年寄りと話すことが非常に楽しんですよ。
 この頃はこっちが年寄りになりましたからその機会もなくなったのですが、若い頃から年寄りと話す機会を自ら求めた。
 ですから、自分では、おれは年寄りと話をすることがうまいという、そういう自身を持っているんです。

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 (中央公論 昭和42年8月号)







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