2012年3月24日土曜日

★ 『解体新書:杉田玄白』 全現代語訳:酒井シズ

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● 2009/12/18[1998/8/10]




 解体新書を出版するにあたっての序文
                      紅毛訳官(オランダ通詞)

 オランダの国の技術はひじょうにすぐれている。
 人間の精神力と知識・技巧の限りを尽くして為しとげたその技術は、古今東西を通じてその右に出るものはまったくないのである。
 したがって上は天文学、医術から、下は器械、衣服に至るまでオランダの技術があまりにも精妙巧緻なものであるために、それを観ることで眼のまえがぱっと開け、まったく思いがけない思いをしない人はいないのである。
 そのためであろうか、オランダは自国の珍しい品物を船に積み、世界各国と貿易している。
 日月の照らす所、霜露の落ちるところで行かない所はまったくない。
 このことは世界広しといっても珍しいことでないであろうか。

 わが将軍がオランダ人の入国を許してから今まで数百年になる。
 彼らが来日して商売するようになると、幕府は長崎に邸を作り、オランダ人を住まわせ、彼らのために通訳を置き、互いに言葉を交わし、意志を伝え、欲求するところを満足させ、利益をあげている。
 毎年3月には江戸に行き、将軍に拝謁し、産物を献上しているのである。

 そこで日本の通訳についてオランダの天文学や医学を学ぶ者は以前から少なくなかっった。
 しかし、オランダ人のもたらす書物と文章は、われわれには耳慣れないものであるため、明確に解釈することは容易なことではないのである。

 時には名声を求め、自分は蘭書を学びたいという者がいる。
 そして、一、二の通訳の門を叩き、入門するが、その結末は無駄なものとなって、さまよい歩き、その修業の半ばにも行かないでやめる者も以前から少なくない。
 また、時には通訳について通訳の術を学ぶ場合に、長く習って通訳の術を習熟したとしても、いざ書物と文章に臨むとまったく目がくらんで読めずに素通りしてしまうことも以前から少なくなかった。
 
 自分[吉雄耕牛]は通訳の家に生まれて、祖父の業を継ぎ、子供のときから通訳の術を習い、いつもそれを身近に使い、その奥義を極めるばかりになっている。
 しかし、オランダの学問の奥底や、その進歩してくわしくなる点については、私の場合でも容易に極めることができないのである。

 以前、中津の医官前野良沢という人物が自分を長崎に尋ねた。
 自分は良沢は豪傑で、立派は人物と見た。
 彼はオランダ語を非常に勤勉に学び、一日中倦むことなく勉強をしていた。
 自分は彼が学問に情熱的であることをたいへん好ましく思い、自分の薀蓄を傾けて伝授した。
 以来、この出藍の器は尋常な人物ではなくなった。
 自分のもとを去って東都[江戸]に戻ってから、一、二の同好の士とますます勉学を深めたが、それはとどまるところを知らないほどであったという。

 自分がオランダ人といっしょに東都に来るたびに、いつも良沢は宿[長崎屋]に来て質問したり、同好の士を連れてきて自分を喜ばしている。
 滞留中はいつも会って話をし、返ってからは千里の道を手紙でねんごろな挨拶をよこすのである。

 だが、東都はいろいろな人間がおおぜい集まっているところであり、しかも、[江戸の]風俗は昔から浅薄で派手好きで、名をあげることのみはかり、利をむさぼる者が多いと自分は思っていたのである。
 いまでは自分は前野君とは古い知り合いであるが、他は行きずりの人である。
 そうであるから彼らがやたらにていねいで親切な言葉をかけてくることは、おそらく本心ではないのであろう。
 自分としては内心いやな感じがすると思って、あまり彼らのことを気にとめないで数年を過ごした。

 今年、癸巳の張る[安永二年(1773)]、またオランダ人と東都に来た。
 前野君はまた同好の士を引きつれて自分を訪ねた。
 ていねいな挨拶は昔通りである。
 そのなかに若狭の医官杉田玄白という人がいた。
 かれは自分の著した「解体新書」を出し、自分に見せ、
 「 翼[玄白]は良沢氏に学び、おそれながらも遠くにおられる先生の教えの一端を受け、そこでやっと蘭書のうち解剖書を選び、これを読み、良沢氏に従って解釈し、従って訳し、ついにこのようなものを創り上げるまでになりました。
 これはじつにうれしいことでございます。
 そこで先生に一度お目通しいただいて疑問のヶ所を質すことをお願いできますならば、われわれが死んでもこの本は朽ちることがないでしょう」
と、述べた。

 自分はこれを受けとり、読んだところ、内容が詳細で論旨がよく通り、事柄と言葉を原書と比べてみると一つも間違いがなかった。
 そこで学問に忠実であるとはこういうことかと感心し、思わず涙がはらはらとこぼれた。
 そしてはたと書物を閉じて、ため息をつき、ああついにこの快挙がなされたと感嘆したのであった。

 わが国の幕府がオランダ人の入国を許して数百年がたつ。
 その間にでた学者の数は数えきれない。
 しかし、学者は翻訳することはできなかった。
 また、通訳は文章が拙いのである。
 そのため、いまだかって筋道をたててこの道を世に弘めた者はいなかったのである。
 
 いま二人の豪傑の資質をもった学問に熱心で好ましい人がその精神力と智、巧を尽くしてついにここまで到達した。
 これからのち、世の医者で志のある者がこの書物によって人間の成長やたくさんの骨の一を知ったうえで治療を施したならば、上は王侯から下は一般庶民に至るまで世紀をうけたすべての人々が天命をまっとうしないで夭折するようなことがなくなるであろう。
 そうあってほしいと願っている。
 また、後世も同じ志を持つ者は、これからはこの本を読めばそのための努力や施策は半分もいらないであろう。
 
 ああ二君がこの仕事で手柄を立てたことはなんといっても最高なことだろう。
 じつに天下後世にとっての徳である。
 これからは幕府の人たちも、オランダ人が医学にくわし、おおいに人のためになるものであることが始めてわかるであろう。
 ああなんとこの壮挙は素晴らしいことか。
 大昔から今日までこの二人のような人物はまだいなかった。
 ああ、以前自分は、この人たちを名をあげることのみはかり、利をむさぼる者と決めつけていたが、それは間違っていた。
 二君がこれを勉めてくれることを心から望んでいる。
 
 二人は丁重に
 「これは自分たちの功績ではありません。
 まことに先生の徳であります。
 厚かましいお願いですが、先生に一言いただいて巻首に載せ、それをもって永く栄誉としたいのです」
といった。

 自分はそれを辞退して言った。
 吉雄永章は懦夫であるが、幸いに諸君の勉励努力のおかげで曹丘になることができた。
 自分はこの盛挙にあずかるために生きてきただけのことである。
 それをまことに深く恥ずかしく思っている。
 下手な文章で見苦しいものを添えることは、永章にはとてもできない。
 言うまでもなく、この書が発刊されて歳月がたてば、世間は自然に本書が基調であることがわかってくる。
 永章が序文を書くことでこの書物の値打ちをあげる必要はないであろう、と。
 
 しかし、二人はどうしても聞いてくれない。
 とうとう自分が二人とどうして識り合ったかそのいきさつを記して、序文とすることになった。

 安永二年{1773} 癸巳の春 三月
                    オランダ語通訳 西肥[長崎]
                              吉雄永章 撰
 甲午孟春[安永三年正月]
                              東江源鱗 書





 【習文:目次】 



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★ 教授の異常な弁解:土屋賢二

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● 2009/12/10



まえがき

 はっきり言おう。
 本書はだれにでもおすすめできる本ではない。
 本書に登場した人、とくにその中でも怒りやすい人は。読まない方がお互い楽しい人生をを送ることができると信じる。
 本書をとくにおすすめしたいのは次のような人だ。

1.読解力がない人
 文字は読めなければ読めないほどいい。
 本のどちらが上かも分からなければ最高だ。
 本書はそういう人のためにある。
 なんとか読めても、本書の内容を理解出来ないような人にも、おすすめである。
 どんなに読解力がなくても本書を買うことはできる(人間は読書よりも先に買い物の能力が発達する)。
 そういう人が本書を買って、しかも読まない、これほどの贅沢があるだろうか。
 読んで失望する心配のない人、それが読解力のない人だ。
 本書はそういう人を決して失望させることはないと断言する。

2.文学的造詣の深い人
 名文を読み慣れている人が本書を読めば、「こんなものでも文章といえるのか」という疑問を抱くはずだ。
 文章と呼ぶにははばかられるような文章が数カ所だけならまだしも、一冊まるまる書き連ねてあるのだ。
 文章とは何か、文学的価値とは何か、という根本的問題をつきつけられることになる。
 場合によっては文章の概念の書き換えを迫る可能性まで秘めている。
 世の中、何が起こるかわからない。
 奇跡が起きればなんだって可能なのだ。

3.アラ探しばかりする人
 本にかぎらず、他人の欠点やミスを見つけて喜ぶという、ゆがんだ性格の持ち主がいるが、本書はその人たちのためにあると言っても過言ではない。
 目を皿のようにしてアラ探しをしなくても、簡単にアラが見つかるからだ。
 一ページに最低でも3カ所はアラがあるから、どのページもそういう人の期待を裏切ることはない。
 これほどアラが多く、突込みどころ満載の本はないと自負している。
 私自身、アラ探しするタイプだから自信をもって言えるが、本書はそういう人を絶対に失望させることはない。

4.軽率な人
 人類の90パーセントは軽率な人だ。
 軽率な人の失敗は枚挙にいとまがない。
 それでも失敗を繰り返すのは、十分は反省もなく、ロクに考えもしないで行動するからだ。
 なぜ本書がこのタイプの人に向いているかというと、「おすすめだ」と書けば、買ってみようと軽率に思い込んでくれるからだ。
 軽率でないと、そもそも本書を買うということが難しい。
 軽率な人は少なくとも本書を買う可能性を秘めている。
 軽率な人は過去に失敗をなんども重ねてきているから、本書を買って失敗したと思っても、簡単にあきらめがつく。

5.考えすぎる人
 考えすぎる人は、過去の失敗に懲りて、慎重に考えるようになった人である。
 だが、慎重に考えているうちに判断が二転三転し、結果的に誤ってしまう。
 こういう人は、基本的に考えが足りない人と同じである。
 こういう人には本書がおすすめだ。
 本書を買えば、考えすぎると失敗におわるということを自覚するいい機会になる。
 もちろんどんなに自覚しても考えすぎる癖は治らないだろうが、人間は一生努力を続けることが大事なのだ。

6.損得にこだわらない人
 本書を買っても決して得にはならない。
 役に立つわけでもなく、知恵がつくわけでもない。
 それでも買うことができるとしたら、損得にこだわらない人か、判断のできない人か、どちらかだ。
 どちらにしても、結果となる行動は同じである。
 けっかさえ同じなら原因は気にしなくていい。
 もし本書を買って損をしたしたと思うようなら、まだ自分は損得にこだわる人間だったと反省し、より太っ腹な人間を目指すことが期待できる。

7.損得にこだわる人
 このタイプの人は、損得にこだわるあまり、結果的に損をしてしまう。
 このタイプの人は、何度損をしても、損に慣れることはない。
 損をするたびに悔しい思いを抱き、損を取り返してやろうと、今度こそ儲けてやろうとチャレンジを繰り返し、そのたびに傷を広げている。
 本書を買って悔しい思いをすれば、損を取り返そうとするチャレンジ精神が活性化し、活力が湧き出てくるにちがいない。
 たとえさらに損をすることになっても、チャレンジ精神を持ち続けることが尊いではないか。
 もしチャレンジ精神が衰えてきたら、品書をもう一冊買うことをおすすめする。

 本書は「週刊文春」連載のコラム「ツチヤの口車」を集めたものだ。
 このコラムは「週刊文春」の中で、「刺身のつま」「箸休め」といった重要な一を占めている。
 メインデイッシュとなる本を読みながら、ときどき本書を読むのが一番いい読み方である。
 メインデイッシュとなる本を選ぶなら、私の本をおすすめする。







  このたび『妻と罰』が刊行された。
 これを機に、格差社会の問題を考えてみたい。
 ちなみに、『妻と罰』は、本欄「ツチヤの口車」の中から自信のない原稿を集めたものである(自信のある原稿がないのだ)。
 おそらく、『妻と罰』という書名はどうせドフトエフスキーの、『罪と罰』をもじっているだけで、内容は似ても似つかないに決まっていると思う人もいるだろうが、それは誤解である。
 どちらの本も、「この世は不条理だ」という世界観を貴重としているという重要な点で共通しているのだ。
 『妻と罰』は、妻が罰を加えるのか、それとも妻に罰が加えられるのかという点だ。
 『罪と罰』は<罪に対して罰が加えられる>という意味だから、それに対応させれば、『妻と罰』は<妻に対して罰が加えられる>という意味になるはずだ。
 だが出来た本を見ると、表紙にはわたしが色々な仕方で罰せられている姿が描かれている。
 そういえば、出版社が提案する書名は以前から、『ツチヤの貧格』など、わたしの品格を落とすようなものばかりだった。
 罰せられるのはわたしに決まっていると速断したのだ。
 わたしが嘆いていると、学生が説明した。
「『罪と罰』の場合は、正確に言うと、<罪に罰が下る>のではなく、<罪を犯した人に罰が下る>という関係になっています。
 だから、<妻と罰>も、<妻をもらった人に罰が下る>となるはずです’
 とうてい納得できる説明ではない。
 男の中には
 「妻をもらったこと自体、罪なのに、妻をもらったという理由で罰を受けるのは不当だ。
 罰を受けたために罰を受けるようなものだ」
と、憤慨する者もいるに違いない(わたしではない)。
 だがどちらが罰する側になるかは大した問題ではない。
 問題は格差社会だ。
 家庭というものは、最も小さく、かつ最も過酷な社会である。
 その中で罰する・罰せられるという関係が生じ、しかも再チャレンジの機会もセーフテイネットもない。
 最初は平等な立場から出発するのに、なぜ男女の間で勝ち組と負け組ができてしまうのか。
 格差社会の解明のために、わたしの事例を考察してみよう。
 わたしが結婚して間もないころ、妻とキャラメルを食べながらテレビを見ていた。
 粘着力の強いキャラメルだということが分かったので、わたしは妻に「用心しないと歯の詰め物がとれるぞ」と注意した。
 妻もわたしも虫歯が多いのだ。
 数分後、妻が「あっ」と叫んだ。
 詰め物がとれたのだ。
 この瞬間だ、わたしの優位が確立したのは。
 わたしは優位を確実にするために、妻の頭の隅々まで深く浸透するように、
 「だから注意しなきゃ詰め物がとれると言っただろう」
と、繰り返しさとした。
 このときが、妻との関係におけるわたしの絶頂期だった。
 まだ優劣上下が決まっていない時期だけに、この出来事は決定的な意味を持つ。
 このちょっとした出来事が勝ち組・負け組を決めたのだ。
 私の優位がゆらいだのは、
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 << 略 >>
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 この日を境に、妻がわたしを見る目から尊敬の色が消えた。
 こうなったらもはや挽回は不可能だ.
 キャラメル一個で勝ち組・負け組が確定し、終生逆転不可能となったのだ。
 多くの家庭で同様のことが起こっていると思うが、くれぐれもキャラメルは食べないことだ。







 【習文:目次】 



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:「創世記」、原罪とはなにか

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● 1997/04[1996/02]



 P資料の作者が誰であったか、ということは、ヤハウィストが誰であったかということと同様、判然としない。

 「創世記」の原初史におけるJ資料とP資料のダブレット(同じ1つの主題について複数の作者が異なった話の筋、異なった表現で記述を行っているという現象)をみるかぎり、P資料の作者が、J資料の作者の作品に何らかの不満を抱き、それを自分なりに「改作」していることは明らかである。



 ヤハウィストの原初史の第一幕は、もしこれを、
 「神の世界づくりの物語」
として眺めるならば、まことに行き当たりばったりのいい加減な「世界づくり」の様であるといわねばならない。


 ヤハウエ神が
地と天を作ったとき、
  -----
 ヤハウエ神は土からとった塵で人を形づくり、彼の鼻に命の息を吹き入れた。
 すると人は生き物となった。


 このヤハウエ神は、まだ何一つお膳立ての整わぬうちに、いきなり人間を存へてしまう。
 それを「エデンの園」の内に置いたのはよいが、この一人ぽっちの人間はいささか手持ち無沙汰で淋しそうである。
 そこでヤハウエはあわてて、人のためにペット・動物を存へてやる。
 ところが、それでも人間は不満そうである。
 それではといって、人間が眠っている間に肋骨を一本とって、それで女を存へてやるのであるが、この女の存へ方なども、まさに泥縄式の見本ともいうべきところである。。



 P資料作者が、こうした無計画な行き当たりばったりに顰蹙したであろうことは間違いない。

 彼はあくまで整然と順を追って組織だった「神の世界創造」を描き出す。
 まず、天を創り、地を創り、その地から植物を生え出させたうえで、天と地に住む動物たちを、これまた順番に手際よく創っていく。
 そして、そのしめくくりに人間たちを作るときも、最初からちゃんと「男性と女性を創造」し、
 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」
と命じる。
 しかも念のいったことに、それらの「創造行程」の一区切りごとに、P資料の神はいちいち品質チェックをするのである。
 「
神がご覧になると、それはよかった
 まるで、品質管理システム(QC)の完備した工場での生産さながらである。



 彼はおそらく、ヤハウィストの物語を繰り返しして読むほどに、不満のつのるのを憶えたことであろう。
 彼はただちに、ヤハウィストの物語のどこがいけないかに気づく。
 それは、ヤハウエが人をつくるのに、

 土から材料をとってきた
ということ。
 ここにすべての禍のもとがあったのだ、と彼は気づくのである。
 材料などというものを介入させたからこそ、ヤハウエの存えた世界はやがてふたたび、材料の提供者である「地」からの取立てを受けることになるのだ。
 この物語は、なんとしても書き直さねばならぬ。
 「地(土)」などという余計物を排し、徹底した神のみによる世界づくりを描こう。
 材料などというものを一切使わない「無からの天地創造」を描こう、これこそが、彼をあの「創世記」第1章の執筆へと駆り立てた決意であったに違いない。

 P資料の作者は、彼自身の「天地創造の物語」をこう語りはじめる。

 初めに神は、
天と地を創造した

 作者は、この冒頭の一文を、この書全体を代表させるにふさわしいものとして、考え抜き練り上げて存へている。
 作者はほとんど結論のような形でこの一文を発しているのであって、事実、この言葉を書いたときの彼の脳裏には、すでに第2章4節の締めくくりの文章がくっきりと浮かんでいたにちがいない。

 
これらが天と地の創造されたときの由来である。


 P資料作者による「神の世界作り」 の物語を通じて、
 「
材料を用いることのない創造
という考え方は、一つの理念としてその全体を貫いているといってよい。
 それは後の世のキリスト教神学者たちの呼んだ通りの
 「
無からの創造(creatio ex nihilio)
なのである。
 「無から」の世界成立を語っている神話は、それ自体、決して珍しいものではない。
 
 それでは、創世記第1章の「神の創造」のユニークな点はどこにあるのかと言えば、それが「無から」の創造を語っているのと同時に、それを
 「
神という創造者の行為
註:神の仕業にミスはないという前提が置かれてしまう)
として描きだしている、というところにある。
 原初の状態が「無」であったと語られ、それから創造者が登場して世界を創り始めるという筋をもった創世神話もあるが、そのような神話でも、創造者が登場するとたん、話はにわかに具体的、即物的となり、結局のところ創造者の世界づくりそのものは、はっきりと材料のある「製作行為」として描かれることになる。
 「無から」、しかもなんらかの創造者による行為として世界創造が語られるということは、極めて異例のことである。
 この異例であること、ユニークであることは、実は言い換えれば、この「無からの創造」という神学概念のうちにひそむ難関(アポリア)の現れなのである。

 いったいなぜ「創造者による無からの創造」という形をもった創世神話がそれほど「異例」なのか?
 理由は簡単なことである。
 
それ自体がすでに一つの論理的矛盾だからである。
 「創造者が居る」ということは、すでにいかなる意味においても、「無の状態」ではないということである。
 「
創造者による無からの創造
という神話がユニークだということは、言いかえれば、それは論理的矛盾であり、
 
「ナンセンスである」
ということなのである。

 問題をさらに複雑にしたのは、このP資料作者よりもさらに後の編纂者が、P資料の
 
「世界創造物語」を、ヤハウィストの原初史の前に
据えてしまった、ことである。

(註: 第1章 P資料による天地創造
    第2章 ヤハウィストによる神の地と天の作造
    第3章 ヤハウィストによるエデンの園
    第4章 ヤハウィストによるカインの物語
    第5章 P資料によるアダムの系譜        )

 元来、ヤハウィストの原初史そのものの構想からすれば、その出発点である「神の世界づくり」は、すなわち「神の没落」の第一歩たるべきものであって、それが完璧なる
 「
不良品率ゼロの世界創造
である必要はまったくないのである。
 そんな世界創造であっては、その後の話がつながらないのである。
 彼の原初史の出発点は神の完璧なる世界創造であってはならない、とさえいえるのである。
 が、一方P資料作者は、徹底した「不良品率ゼロの世界創造」を目指す。
 そもそも、「無からの創造」という理念を考えだしたのも、「材料」などというものを持ち込むことによって、そこに「不純物」が紛れ込み、神の創造の完璧さが失われるようなことがあってはならない、という発想なのであった。
 それぞれの一日ごとの創造のたびに、神がそれを見て、それが良かったと語られているのであるが、念には念を入れるという]形で、すべてが創造されたあとで、もう一度最終チェックが行われるのである。

 「
神は彼が作られたすべてのものをご覧になった。
 すると、見よ、それは非常に良かった。

 これほど完璧な品質管理のゆきとどいた世界創造物語を冒頭に置いてしまったら、その後の展開はいったいありえるのか?
 少なくとも、これに引き続いてヤハウィストの
 「
神の没落のドラマ
を語ろうというのは、ほとんど不可能なことである。
 全知全能のの神が、これだけ注意深く創造した完璧世界から、
 
どうして悲惨に満ちた世界が出現しうるのか
解決不可能な謎となってしまう。

 その落差を埋めようとするならば、どこかで、
 「
人間自身の責任
によって、「非常に良かった」状態からの堕落が起こった、とするしかない。
 それを
神の責任とすれば、
 「
神の作り損ない
という問題が生じてしまう。
 それを
サターンの仕業とすれば、サターンに神をもしのぐ強大な力を認めてしまい、事実上の
 「
二神論
となってしまう。
 そこで、そのような形で要請される「人間の堕罪」をおそろしく重大なものにせざるを得なくなる。

 つまり、ある意味で神(とサターン)の肩代わりを担って、

 この世の悪一般を引き受ける
ような形で、
 
「人間は罪に落ちる」、
という役目を負うことになる。
 伝統的なキリスト教教義の立場はまさにこの要請にあわせて、創世記第2章、第3章の
 
解釈をつくってきた
のである。
 それが

 人の「原罪」

という概念として固定化し、キリスト教教義におけるもっとも重要な神学概念の一つとすらなってしまったのである。

 もしも原初史を、そのあるがままの姿で、すなわち、本来の原初史であるヤハウィストの作品と、それに対抗して書かれたP資料との対立の形のままで読むならば、こうした伝統的な宗教教義は足元から崩れ去ることになる。
 それは、信者にとっては耐え難いことであろう。
 しかし、敢えて断固そのようにして読むときには、「教義」に縛られて読む者には目に入ってこなかったもの、すなわち、ある一つの精神の格闘というものが見えてくるであろう。
 私がここで原初史のうちに見ようとしているのは、まさにそれなのである。
 私はユダヤ教に興味があるのでもなければ、キリスト教に興味があるのでもない。
 私が興味をもつのは、この
 
「ヤハウィストという一個の稀有の精神の軌跡」
なのである。







 【習文:目次】 



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:「バベルの塔」の作者、ヤハウィスト

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● 1997/04[1996/02]



 現在の旧約学の認めるところによれば、「バベルの塔」の物語のうちには、資料の混在はないという。
 この物語はたった一つの資料のみで成りたっており、したがって
 「資料の混在による記述の矛盾」
ということは起こりえない。
 もし、この物語になんらかの「語り損ね」が見られるならば、それはたしかに
 「この物語の作者が語り損ねている」
のだ、と言うことになる。
 つまり、「『バベルの塔』の物語の作者」はたしかに存在するのである。
 それはいったい誰なのかといえば、この物語は一般に「J資料」に属するものと認められているのであるから、当然、J資料の書き手がこの物語の作者である、ということになる。

 そして実は、このJ資料の作者こそは、「原初史」を構想し、その大筋をはじめて作り上げたと思われる人物なのである。
 4種の資料のうちで、「原初史」にかかわっているのは、J資料とP資料のみなのであるが、その基本構想を作りだしたのは、資料の成立年代からみても、また両資料の内容から見ても、明らかにJ資料の作者である。
 P資料の作者は、ただそれを「改作」しているにすぎない。
 つまり、「バベルの塔」の物語の作者は、同時に、「原初史」全体の作者と呼んでいい人物なのである。

 この資料の書き手が、紀元前900年代の「南王国ユダ」に生きていた人らしい、というところまでは推測がつく。
 この書き手が一人の人物であるかどうかということについて、学者たちの意見は真っ二つに分かれる。
 20世紀はじめに活躍した旧約学者の一人、ヘルマン・グンケルははっきりと、J資料は多くの人々の手を経て次第に形成されてきたものだと断言する。
 これに対して、同じく20世紀ドイツ旧約学の大御所の一人、ゲルハルト・フォン・ラートは、J資料の作者を「一人の人物」とみなす。
 彼はその人物を「ヤハウィスト」と呼び、それをほとんど一個の固有名詞として使っている。

 このような、両極端に分かれる見解のどちらをとるかということは、もはや「文献学」によって決着のつく問題ではない。
 結局のところ、最後には、「その作品をどう読むか」にかかわる問題となる。
 後世の世に切り刻ざまれて、はぎ合わされた断片を通読して、そこになを否定し難く「一つの個性」というものが貫いているのを見てとれるか否か ----それが答えを決めるのである。 
 J資料は、「原初史」のどの部分をとっても見ても、
 「一人の作者による作品」
として理解するほかない、はっきりとした特色と一貫性を示している。

 明らかに或る一貫した構想に導かれて構成されており、しかも、その構想の大胆さは、とうてい今から三千年も前の人間の構想とは信じられないほどである。
 このJ資料の作者が誰であれ、少なくとも、その発想の大胆さと独自性は、その後のすべての注釈者たちをしのいでいる。
 このような、文字通りの意味での「ユニーク」な作品が、「一人の人物の手になるものではない」と考えることはひじょうに難しい。

 さらにその上、「原初史」を構成するJ資料がただ一人の手によって作られたものである、ということを革新させるのは、ほかならぬ、あの「語り損ね」である。
 この原初史の最初の構想者は、きわめて大胆かつユニークな構想をもって全体を作りあげているのであるが、そのあまりにも大胆な構想は、ほとんど解決不可能と言ってもいいような難関(アポリア)を抱え込んでしまっている。
 ある意味では、その難関の生み出すエネルギーこそが、原初史の一連のドラマを展開させてゆく原動力になっている、とさえいえるのであるが、そのような難関を抱えたドラマは、その最後の挿話「バベルの塔」の物語に至って、ついにその難関を支え持ちこたることができなくなってしまう。
 解決不能な難関が、はっきりと解決不能なものとして、表面に浮かび上がってきてしまう。
 あの「語りそこね」は、まさに原初史を通じて持ち越された難関のエネルギーが、とうとうそこで爆発を起こし、この物語を真二つに引き裂き、吹き飛ばしてしまう、という出来事だったのである。

 ある大胆でユニークなものを作り上げるということだけなら、複数の人間の共同作業として行うことは不可能ではないかもしれない。
 しかし、そこで躓き、語り損ねる、ということは、ただ一人の人間の企てとしてしか理解することができない。
 複数の人間が、ある一箇所で、息を合わせてうっかり躓く、ということはほとんど論理的に不可能なことだからである。
 このような理由から、私は、このJ資料のうちに、「ただ一人の人物」を認める。
 そして、フォン・ラートにならって、彼を「ヤハウィスト」と呼ぶことにしよう。
 ヤハウィスト、彼こそ「原初史」を構想し、「律法」の大もとをつくり、そしてユダヤ教の根本を形づくった人間なのである。

 かくして、われわれは、いよいよ「バベルの塔」の物語の「作者」に面と向かうことになる。
 いったい、ヤハウィストは、彼の原初史をいかに構想し、そしてその果ての「バベルの塔」の物語に至って、いかに躓いたのだろうか?
 それをこれから順を追ってみてゆくことにしよう。








 【習文:目次】 



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:「モーセ五書」の成立

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● 1997/04[1996/02]



 「バベルの塔」の物語は「原初史」 の内にあり、その原初史は「律法」の中でも、重要かつ特別な一を占めるものである。
 そもそも「律法(トーラー)」なる書物がどのようにして書かれ、どのようにして出来上がっているのか。
 これは現在のわれわれが本を書くのとは、まるで違った仕方で作り上げられたものだ。

 現在分かっているところによれば、或る時代に、それまでヘブライの諸部族のあいだに、口伝えの伝承として伝わっていた種々の歴史的事件や物語が、文字によって書きとめられ、文書として出来上がる。
 さらにそれがまとめられ、編纂されて最終的にいま見る「律法」「預言者」「諸書」という形に整えられたのであろうという。
 したがって、そこには多くの作者たちがおり、またそれを切りはぎしていった編纂者がいた、ということになる。
 彼らが、どの部分をどう書き、またそれをどう切りはぎしたのか、ということをしるために、ここ二百年ばかりの間に積み重ねられてきた、いわゆる「旧約学」なるものの研究成果をふりかえってみる。
 実際、「タナハ」としてであれ、「旧約聖書」としてであれ、その成り立ちの詳細が明らかにされるようになったのは、この書物自体の年齢と比べると、ごく最近のことなのである。

 ほぼ二千年近くものあいだ、「律法」、すなわち「モーセ五書」は、モーセ本人の筆になるものである、ということになっていた。
 これは、ユダヤ教においても、キリスト教においても、疑ってはならぬ公式見解としてまかり通っていた。

 それでは、五書はいったい何者が、いかにしてかいたものなのか?
 そのことについての積極的な見解が登場するのは、18世紀になってのことである。
 注目されたのは、五書の中に、同じ一つの物語が異なった語り方で繰り返されれていることがあるという現象(「タブレット」と呼ばれる)であった。
 その場合、片方では神が「神(エローヒーム)」とのみ呼ばれているのに、もう片方では「ヤハウエ」(または「ヤハウエ・エローヒーム」)と呼ばれている。
 さらに、他の用語や文体も異なっている。
 これは明らかに、異なる作者によって書かれたものであることを示しているのではないか-----このような推理が、現代の「旧約学」につながる第一歩となったのである。
 
 公式に認められたのは、1780年に発表された、ドイツの学者ヨハン・ゴトフリート・アイヒホルンの説である。
 アイヒホルンは、
①.神を「エローヒーム」と呼んでいる文書を「文書E」と名づけ
②.神を「ヤハウエ」と呼んでいる文書を「文書J」と名づける。
 これが基本的には、現在「文書資料」と呼ばれているものの区別の出発点となった。

 その後いくつかの資料が新たに区別されて、現在では、「律法」の五書は、次の4つの文書資料からなっているとされている。
①.「J資料(ヤハウイス資料)」
  アイヒホルンが「J」と名づけた資料はいまでも「J資料(ヤハウイス資料)」と呼ばれている。
  紀元前900年、あるいはそれ以前に、「南王国ユダ」で成立したと考えられている。

 アイヒホルンが「E」と名づけた資料は、現在では「E資料」と「P資料」とに区別されている。
②.「E資料(エロヒスト資料)」
  「E資料」はJ資料のほぼ1世紀後に「北イスラエル王国」で成立したものと思われる。
③.「P資料」
  P資料は「祭司文書(Proestly Code)」とも呼ばれ、バビロニア捕囚の直前に、おそらくは祭司の職にある者によって書かれたものとされている。

 最後の「申命記」のみは、これらとは全く別の書き手によるものであることがわかっている。
④.「D資料」
  この資料は「申命記」のギリシャ語訳「デウテロノミオン」の頭文字をとって「D資料」と呼ばれる。
  これは紀元前622年頃、「南王国ユダ」の神殿から「発見」されたと言われているのであるが、実際にはその時に執筆されたものらしいと言う。

 これら4種の文書資料が、(D資料をのぞいて)パッチワークのように切りはぎされて出来上がっているのが「律法」なのである。
 したがって、そのパッチワークの実態---どこからどこまでが、どの資料によるものなのかということに関する正確な情報---を知らずに、やみくもに「作者の意図」を探ぐろうとしても、まったくの見当はずれに陥ることになる。
 なかでも注意すべきは、その複雑な切りはぎが、一つの物語の内部まで及んだ結果、物語の記述に矛盾が生じてしまうことがある、ということである。

 たとえば、その典型的な例が、「創世記」のなかの「大洪水の物語」である。
 そこでは、第7章12節に、「雨は四十日四十夜のあいだ地上に降り続いた」とあり、その後、水が引き始めたことになっているのに、第7章24節では「水は150日間にわたって地上にみなぎり続けた」とあり、地上が完全に乾くまでにほぼ一年かかったことになっている。
 この明らかな数字の矛盾は、編纂者が、この一つの物語のうちに、J資料の記述とP資料の記述とを混ぜいれたことから起こった矛盾、と説明されている。
 すなわち、J資料の作者は、雨が40日間降り続いたと記述し、P資料の作者は水が150日間みなぎり続けたと記述している。
 それをそのまま繋ぎ合わせてしまったために、このような食い違いが生じたのである。








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:旧約聖書、約束の土地と選民思想

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● 1997/04[1996/02]




 キリスト教世界で一般に「旧約聖書」と呼びならはされている書物は、本来はユダヤ教の聖典として成り立ったものだ。
(「旧約聖書」という名は、のちにこの書物がキリスト今日の正典とされたときに、キリスト以後の教えを「新約」と呼ぶのに対比してつけられたものにすぎない)

 ユダヤ教の本来の呼び名によれば、これは「律法」「預言者」「諸書」の三部からなり、総称して「タナハ」と呼ばれるのである。

 そのそれぞれは次のような構成になっている。

①.律法(トーラー)
 モーセ五書:「創世記」「出エヂプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」
②.預言者(ネヴィイーム) 
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③.諸書(ケトウヴィーム)
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 「バベルの塔」の物語は創世記第11章におさめられており、「律法」の一部分ということになる。
 この「律法」は「タナハ」全体の中で、もっとも早く正典化された部分であり、また内容的にももっとも重要なものとされている。
 ときには、「タナハ」全体を「トーラー」と呼ぶこともあるくらいである。

 それでは、この「律法:トーラー」とはいかなる書なのだろうか?
 ヘブライ語の「トーラー」とは、「律法」と訳されるとおり、「定め」「掟」といった意味の言葉である。
 そして実際、この「律法」の五書は、いたるところに、神がイスラエルの民に与えたとされるさまざまの法律や宗教的戒律の記述を含んでいるのである。
 すなわち神ヤハウエがイスラエルの民と契約を結び、彼らがヤハウエの掟を忠実に守るならば、ヤハウエはかれらに、

 土地を与え、
 子々孫々の繁栄

を約束する、ということになっている。

 「律法」の基本にあるのは、

ヤハウエとイスラエルの民とのあいだの契約

である。
 この契約は、律法の中で重ねて繰りかえし確認され、その場面に応じて「アブラハム契約」とか「シナイ契約」とか呼ばれる。
 その最も基本となるべき最初の契約が「アブラハム契約」で、ヤハウエはアブラハムにこう語ったとされている。


おまえの故郷、おまえの親族、おまえの父の家を離れ、私がおまえに示す地へ行け。
私はおまえを大いなる民とし、おまえを祝福し、おまえの名を偉大なものとしよう。


 ヤハウエの約束のうちには、子孫の繁栄ということがうたわれたり、いまある苦境からの救出ということがふくまれたりするのであるが、一つ一貫して変わらないのは、
 「
土地の約束
である。
 最初、アブラハムに「私がおまえに示す地」と語られるのが、モーセへの言葉の中で語られる
 「
カナーンの地
であり、実際にヤハウエはアブラハムをそこまで連れて行って、これをおまえの子孫に与える、と行って見せてやるのである。

 しかし、この「土地の約束」は、はなはだ奇妙な約束であった。
 というのも、それは現に人の住み着いている土地だったからである。
 創世記第12章の、ヤハウエがアブラハムのそのその約束の土地を見せる場面では、はっきりと、
 「当時、この地にはカナーン人がいる」
と語られている。

 つまり、ここでのヤハウエは他人の土地を勝手にアブラハムに約束してしまっている訳で、客観的に言えば、この神の「土地の約束」は、まことに顰蹙すべき約束なのである。
 けれども、ユダヤ教において、このアブラハム契約の顰蹙すべき側面が深刻な神学的問題となったことは、一度もなかった。
 というのも、このユダヤ教の神ヤハウエは、「イスラエルの民の神」であると同時に、「全地の神」でもある。
 したがって、その地にどの民族が住んでいようと、それはすべて本来ヤハウエのものであり、ヤハウエはそれを好きな時に好きなように取り上げて、好きな民族に与えることができるという訳なのである。

 イスラエルの民の神が、同時に全地の神でもあるという、この一風変わった「二重性格」は、ユダヤ教の根本的特色をなすものと言えるのであるが、それによって、イスラエルの建国にまつわる根本的は
「暴力」が、いわば正々堂々と公認されることになったのである。
 しかし、他方では、神による「土地の約束」が、これほど明確な形で建国の出発点に据えられてしまったことは、ある難しい問題を生み出したともいえる。

 すなわち、イスラエルの民にとって、
 その国土がいつまでたっても本当の意味での自分たちの土地とは成り得ない
という問題である。
 「カナーンの地」は、あくまでも神との契約によって、イスラエルの民へと授けられたものであるのだか、それは彼らにとっては、いわば永遠の、
 「
神からの借地
なのであり、、
決して自分たちの「持ち家」とはなりえないのである。

 ユダヤ教というものは、一面ではなはだ民族的宗教でありなが、また他方では、その神が「全地の神」でもあえという、特殊な性格を持っている。
 これを普通「選民思想」という言葉で呼ぶのであるが、これは単なる「民族主義」や「中華思想」とはまっったく異なるものである。
 単にその民族に固有の「守り神」がついていて、危機に際してその民族を守り、鼓舞してくれる、ということであれば、そういうもののない民族はない、とさへいえる。
 しかし、それは「選民思想」ではない。

 そこでは、それらの「守り神」の守備範囲がその民族のサイズとほぼ一致しているからである。
 彼らが他の民族と戦うとき、必ず勝たせてもらえるかどうかの保証は、そこにはない。
 「守り神」がどのくらい協力であるかは、実際に戦ってみなければわからないのである。
 また一方で、いわゆる
「中華思想」なるものは、むしろ「神」を抜きにしたところで成り立っている。
 たとえば、漢民族が自らを世界の中心にあるものと理解していたのは、彼らの民族文化全体を背景にしてのことであって、何らかの神を後ろ盾に仰いでのことではなかった。 
 これに対して、正真正銘の
「選民思想」は、全宇宙を支配する神が、ある特定の一民族を選び、ひいきする、ということによって成り立つ

 神がイスラエルの民の守るべき戒律と、この神がイスラエルの民に約束し、また与えた特別の恩恵の数々とについての記述が「律法」の大部分を占めている。
 ところが、その中にひとつだけ、それらの部分とは全く違った、異質な記述の部分が存在する。
 「律法」の一番初めの部分----創世記第1章にはじまり、第11章まで続いている、いわゆる「原初史」と呼ばれる部分がそれである。
 この原初史においてはまだ「イスラエルの民」というものは現れていない。

 この「原初史(Urgeschichte)」という名も、それがいまだ「イスラエルの歴史」になる以前の歴史である、というところからつけられた名である。
 そこでは、この神ヤハウエが天地をつくった時のこと、人類最初の人間をつくった時のことに始まり、いかにして人類が諸民族に分かれ分散していったか、ということが語られている。
 つまり、ここに描かれる神は、純然たる「全地の神」としてのヤハウエなのである。

 「選民思想」にもとづく宗教としてのユダヤ教にとっては、その神を確かに「全地の神」として描き出す部分は、必要不可欠なのである。
 分量からすれば、この原初史の部分が「タナハ」全体に占める割合は、ほんのわずかなものに過ぎない。
 しかし、このほんの僅かな一部分こそが、ユダヤ教をユダヤ教たらしめていると言っても、決して大袈裟ではないのである。
 そして、そればかりなく、この原初史の部分こそ、このユダヤ教の内から、一見それとは大きく異なる、キリスト教という新宗教が生まれ出てくる、その芽を内に含んだ部分であった、と言えるのである。

 キリスト教徒たちは、自分たちのキリスト信仰をつづった諸書を「新約」と称し、他を「旧約」と称する。
 この呼び方は、あたかも自分たちこそが、正統の「アブラハム契約」の更新者である、と言わんばかりである。
 これはユダヤ教の立場からすれば、許しがたい僭称であるということになる。
 ユダヤ教徒の目から見れば----また、客観的な立場から見ても----これは明らかに一種の宗教的簒奪というべきものである。

 しかし、この「宗教的簒奪」は、一面では、たしかにユダヤ教自身居よって準備されたものである。
 モーセに託された言葉にみるとおり、全地はヤハウエのものであり、したがってこの神ヤハウエは「全地の神」である。
 たしかにこの神はイスラエルの民に特別の好意を示しているが、その本質は決して「イスラエルの民の神」なのではない。
 この神はあくまでも全地・全人類・全宇宙の神なのである。

 原初史の最後の挿話にあたるのが、「バベルの塔」の物語である。

 とすれば、この原初史のなんたるかについて考えることなしには、「バベルの塔」の物語を正しく解釈することも不可能なのである。










 【習文:目次】 



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★ 『バベルの謎 ヤハウイストの冒険』:長谷川三千子

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● 1997/04[1996/02]






 もし、この本にいささかなりとユニークなところがあるとすれば、それは「創世記」原初史というものを徹底して

「ひとつの作品」として読もう

としている、ということであろう。


 これは伝統的な、ヨダヤ教信者、キリスト教信者の読み方と異なっているばかりでなく、現代の旧約学の主流をなす読み方ともまた異なっている。

 ちょうど、中世の聖書解釈者たちが「モーセ五書」をモーセの書いたもの---預言者であるモーセが神の言葉を預かってそのまま書きしるしたもの---と考えることによって、「作者」という問題を避けて通ったのとおなじようにして、現代の聖書解釈者たちは、「モーセ五書」の記述を、いたるところで「伝承」へと還元することによって、「作者」の問題を避けて通ろうとしている。

 およそこの世界の出来事全般を、「民衆」の歴史と称して、いかなる英雄も偉人も存在しないもののごとく扱おうとするのは、現代の歴史学者の悪弊の一つであるが、聖書解釈者たちもまた、その悪弊に染まろうとしている。

 ひとことで言えば、昔も今も、人々は「精神」というあり方から逃げ出そうとし続けてきたのである。


 私がこの「創世記」原初史のうちに見出したのは、一つ「精神」の軌跡であった。

それは、

 地と天を創り上げた神に、一対一で対等に面とむかうことのできる「精神」であり、神の悩みを自らの悩みとして悩むことのできた「精神」である。

 彼は、神を擬人化したのではなく、自らが神と同じ場所に立つことによった、神と同輩として理解することができたのである。

 そのような精神のあり方は、禅宗の思想にふれたことのある者にとっては、少しも珍奇なものではない。

 しかし、彼がのちに確立した、ユダヤ教やキリスト教教義にとっては、彼のような精神のあり方は、まったく「異端」と目されるべきものである。

 まさに、それらの宗教の発端を作り上げたその精神を、それらの宗教は覆い隠し、埋め去り、忘れ去ってきたのである。



 そのようにして覆い隠し、忘れ去ることによって、それらの宗教は、かの「精神」の直面した問題を、自ら直視するかわりに、まさに無意識に「強迫観念:オプセッション」として抱え込むことになったのである。

 ここで私のしようとしていることは、ちょうど精神分析医の仕事とよく似通っている。

 すなわち、患者が或る問題を自ら直視しようとせず、覆い隠し忘れ去ることによって、かえってそれに縛られているとき、彼に正しくその問題を直視させ、直面させることで治療を行うのが精神分析医だとすれば、それと同じことを私もしようとしているのである。


 これを読む大多数の日本の読者にとっては、そのような「
強迫観念:オプセッション」はただ他人の病であり、まったく他人事としか感じられないことであろう。

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 さしあたっては、この大胆きわまりない一個の精神の展開の軌跡を、一つの冒険小説、あるいは一つのミステリーとして楽しんでいただければ幸いである。











☆ バベルの謎:まへがき

  : 旧約聖書、約束の土地と選民思想
  : 「モーセ五書」の成立
  : 「バベルの塔」の作者、ヤハウィスト
  : 「創世記」、原罪とはなにか




 【習文:目次】 



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