2012年4月2日月曜日

★ 『隠された十字架 法隆寺論』:梅原猛

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● 1987/03/05[1981/04/25]




 はじめに

 この本を読むにさいして、読者はたった一つのことを要求されるのである。
 それは、ものごとを常識ではなく、理性でもって判断することである。
 常識の眼でこの本を見たら、この本は、
 すばらしき寺、法隆寺と、すばらしき人、聖徳太子
にたいする最大の冒涜に見えるであろう。
 日本人が千何百年もの間、信じ続けてきた法隆寺像と太子像が、この本によって完全に崩壊する。

 冒涜の書よ、
 破壊の書よ、
 危険の書よ、
 妄想の書よ、
人が健全な常識と、正しい良心をもてばもつほど、この本に対してそういう非難の言葉を投げつけるであろう。
 真の意味において革命的なあらゆる学説が受けねばならぬそのような非難を、私もまた甘んじてうけようと思うが、一言のアポロギア(弁明)が許されてよいであろう。

 私は哲学を転職として選んだ。
 哲学というのは、文字通り、フィロソフィア、知を愛すること、名誉や、権力や、金銭より、何よりも真理を愛することである。
 しかし、真理を愛することは容易なことではない。
 なぜなら、人間というものはとかくきびしい真理の女神より、虚偽の淫女につかえることを好むものであるからである。
 そして、
虚偽の淫女が、常識という仮面をかむって、長い間人々に信じられているとき、あたかもその淫女は、真理の女神より一層女神らしく見えるからである。

 それゆえに、哲学の仕事は徹底的な常識否定の仕事からはじまる。
 それは多くの人々がそれに依拠している常識を否定して、人々を懐疑の中に突き落とし、そこから新たに根源的な思惟をはじめさせようとする仕事である。
 この仕事は本来危険な仕事である。
 この危険な情熱に憑かれたソクラテスは、そのためアテナイの常識人の怒りを買い、ついにその命を落とした。

 ソクラテスの徒として、私はここで行ったのは、こういう常識の根本否定と、かくされた真理の再発見であった。
 ここで日本の古代に関する長い間の常識が否定され、隠された真理が現れる。
 ソクラテスは真理の認識は想起によって起こるという。
 人間の魂は、かって真理の国にいて、真理をはっきり観ていた。
 しかし、今や人間は現象の国に生まれて、真理をはっきり見る眼を失った。
 それゆえ、この現象の国で、真理を認識するためには、かって彼の魂がそこにいた真理の国を想起すればよい、というのである。

 プラトンの『メノン』にかかれたこの言葉を、今、私は感激をもって思い出す。
 ここで私の認識の意志は過去へ向かっていった。
 法隆寺が、その造られた時点において、どういう意味をもっていたかが、私の問であった。
 しかし、千年以上もたって、真理はおおいかくされ、誤った見解が、常識として通用していたために、法隆寺は謎に包まれた寺となっていた。
 私はある日、その暗い謎の底に真理が微笑みかけるのを見た。
 推論によって、その真理を引き出して見ると、真理は確固とした体系をもち、あたかも想起によって、過去そのままがそこに再現されるかのようであった。
 
 私が真理を発見したのではない。
 真理が長い間の隠蔽に耐えかねて、私に語りかけてきたのである。

 どうやら私の言葉は、一つの本の序文の言葉としては、いささか響きが高すぎるようである。










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2012年3月31日土曜日

★ ヒントのヒント:あとは自分のアタマで考えよ!!:日下公人・堀紘一

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● 1997/06/25



 経営学の基本は金勘定ではない。
 「環境認識をどうするか」ということと、その環境に合った組織体をどう構成するかである。
 うまく機能している組織は、環境が変わらない限り反映する。
 動物は困難な環境に直面して、より生存しやすい形・状態に変化する。
 それによって環境に適応し、さらに環境変化の中で生き残っていく。
 それが「進化論」の教えるところである。
 進化する動物の陰で、もはや完全に環境に適応してしまって、それ以上の進化を失ってしまったのが下等動物である。
 日本経済を取り巻く環境は確実に変化している。
 変革しえなかった前時代の企業は、分解リサイクルさせていただくのがいちばんいい。

 日本における組織学・経営学の元祖は徳川家康である。
 彼は環境を固定し、その環境に合う組織を作った。
 環境を固定するには何をすればよいかを考えた。
 まず、彼は新しいものを持ち込んでくる南蛮・紅毛、すなわち西洋というものに不安を感じた。
 新しいものが入ってくることによって環境が変わることを恐れた。
 それが鎖国となる。
 鎖国が完成するのは家康の没後のことであるが、それを準備したのは家康である¥。
 もう一つ、経済力のある人間が出ることに危惧を持った。
 経済力のある人間を作らないようにする。
 徳川にとって経済力のをもたれては困るのが諸大名である。
 諸大名の経済力を抑えこむために参勤交代の制度を作った。

 15代将軍慶喜のときの日本の人口は三千万人です。
 家康の時代の人口も三千万人
 およそ260年の歳月を経て、ものの見事に経済力が同じなのである。
 この国の限られた国土から得られる食料エネルギーの量は限定されている。
 食料エネルギーの量は「人口」を規定します。

 固定的環境で暮らせば、人々は固定的な味方に陥る。
 既存の味方、慣習に頼れば自分自身で考えずにすむ。

 アメリカの経営学は移民を集めた労働市場と量産品を求める市場の上に立つ大企業を前提にしている。
 人間管理のコツは軍隊から学んでいる。
 それは、巨大な軍事組織を管理するための方法を基礎にしている。
 よって小規模事業経営に応用するには少なからず無理がある。
 中小企業では仕事の内容はすぐ変わる。
 そのような中小企業の経営は、学問として扱いにくいから学校では取り上げようとしない。







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★ 和算で数に強くなる !:高橋誠

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● 2009/04/10



第二章 誰がはじめて植木算で木を植えたのか
 明治時代には植木算がなかった?
 植木算と植え木算でないものの違いとは
 江戸時代には植木算はなかった
 誰が最初に植木算で木を植えたのか?
 植木算が自覚される

 明治時代の初めの教科書に次の問題があります。

問題1 (注:メートル法に直して記述する)
 15mの地に、松の木5本あり、しかる時、松の木の間は何mなりや。

 問題が載っている教科書は、明治6年に刊行された「小学算術書 巻之四」で、小学3年後期用のものです。
 刊行したのは文部省、編集したのは師範学校。
 当時は、国定教科書ではなかったので日本中で使われたものではありませんが、広く普及した代表的な教科書です。

 「植木算」で考えることを知っている私たちは、木は両端にも植えられているのかどうかが、とてもキになります(!)

 図2-1を見てください。
 両端に植えられていれば木と木の間は4カ所になり、ひとつの間の長さは「15÷4=3.75m」となります(①)。
 両端に植えられていなければ②で、間は6ケ所になり、「15÷6=2.5m」。
 しかし、この問題の教科書による正解は、「15÷5=3m」なのです。
 木の植え方を③のように考えているわけです。

 ①の計算方法を「植木算」といいます。
 植木算のポイントは、道の両端に木を植えるから、木と木の間の数は、木の本数より「1」少なくなる、
 すなわち「木の本数-1=木の間の数」と考えることにあります。
 明治31年に出た『算術問題の解き方』という本では、植木算の考えか方を
 「片手を広げるとき、5本の指と指との間隔は4つあり、このことを心裡に銘記すべし」
と説明しています。



<■>
 「植木算」なる言葉があることをはじめて知った。
 少なくとも私は小学校でも中学校でもこの言葉は習っていない。
 経験としては半世紀以上も昔に出会っている。
 小学校の時である、先生がこんなたぐいの問題を出した。
 「3mのところに、50cmおきに花を植えると花は何本いるか」
 算術的には6本になる(300cm÷50cm=6)。
 50人クラスのほとんど(中には問題の意味がわからない生徒が一人二人いた)が「6本」と答えていた。
 だが、どういうわけか自分だけ「7本」にしていた。
 どうやったかというと、なんてことはない試験用紙に線を引いて、その線を短い縦線で区切っていった。
 一つの線分を50cmとして6つの線分が引けたところで3mとして、その線とタテ区切り線の交点’を数えたら「7ケ」であり、答えを「7」としたのである。
 実をいうとその前に伏線がある。
 試験で先生が「300÷50=6」なんて簡単な答えを求めるような問題を出すはずがない
どこかにヒッカケがあるはずだと、と思い込み、これは絶対「7本」だ、これが正解だと思ったわけである。
 で、先生の正解はというとなんと素直に「6本」なのである。
 ヒッカケはなかったのである。
 逆に先生に呼ばれて「なんで7本なのだ」と質問された。
 図にして説明すると、「ああそうか、そうだな」といって、私のもマルにしてくれた。
 つまり、先生自身が「植木算」なるものを知らなかった、ということなのである。
 たまたま私は絵で解法したために説得力に富んでいた、というわけである。
 では、「6」か「7」のどちらが正解かというと、どちらも正解である、ということである。
 言い換えると「問題の出し方が間違っている」ということである。
 問題が悪い、ということである。
 問題は異論のでないように作成すべきだということである。

 でも、最近の教育では「植木算」が強く刷り込まれているようです。
 本書から別の例をあげてみます。
 

 今の私たちは「4km2の土地に1km2ごとにマクドナルドがある」と聞くと、店の数は4店と思うのが普通だと思います。
 図3-1の①のように。



 では、「3kmの道に1kmごとにマクドナルドがある」と聞くと、店の数は何店と思うでしょうか。
 mixi のあるコミュで、この質問をしたところ、「3店」と答える人と「4店」と答える人が半々でした。
 (http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29978834&comm_id=63370)
 4店と答えた人は、植木算的に③のように考えているのでしょう。
 長さの場合は、わたしたちには植木算の考え方が刷り込まれているために、
 起点がどこなのか、
 その起点と店との関係はどうなっているのか
が意識に上り、長さの起点に店を置く人が、半数はいるということのようです。


 単純にいうと、これも問題が悪いという典型でしょう。



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★ クラウド時代とクール革命:角川歴彦

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● 2010/03/10



 GDPとは国で1年間に作り出された財とサービスの価値から、それを作るのに必要とされる原材料(中間生産物)の価格を差し引いたものをいう。

 ハリウッドの対策が日本ではヒットしない現象が起こっている。
 日本で何が起こっているのか。
 日本経済は1989年に株価がピークをつけて以降、極端な金余り現象がバブル経済の崩壊となり未曾有の長期不況、いわゆる「失われた10年」に突入する。
 この長い停滞期間に、日本人の心の中からは、アメリカに盲従する機運が失われていった。
 1990年代のバブル崩壊による景気後退の中で、日本人の物欲は急速に衰え、生活様式が様変わりした。
 長い低迷気を経て、物質文明への欲求は弱まり、変わって精神文化が成熟していった。
 「失われた10年」の中で、
 日本は物質文明の国から精神文化の国へと転換

を図り、文化の質が劇的に変化した。
 精神文化への傾斜で、アメリカ文化の長所短所を素直に評価できるようになった。
 こうした動きはアジアのなかでも日本だけにみられる現象となった。
 アジアの他の国々は、まだ「モノへの欲求」が強く
物質文明を追い求めている段階にある。

 「web2.0」現象とは何かと問われれば、百万人単位で人を集まることを可能にしたことだ、と答えよう。
 21世紀を特別にしているのは「大衆が創る文化」と「ネットワークによる知性の時代」ということだ。
 このような大衆文化の登場が、わずか20年間に起こった。
 社会のさまざまな場面で大衆が参加し、大衆の嗜好や意思が社会を動かす機械が増えている。
 こうした現象を「クール革命」と名づけよう。
 ポストweb2.0の恩恵で人々は気軽につぶやいて、自由に情報発信できるようになった。
 大衆地震がコンテンツを作り、公開することでウエブ空間に「巨大知」が形成され、巨大知はリアルタイムの情報発信が増えるにつれてさらに肥大化しつつある。
 インターネットの情報は玉石混淆である。
 役に立つ情報、面白い情報というのはわずかで、ほとんどは無用で無意味なノイズのような情報だ。
 しかし、巨大知は圧倒的な情報量にこそ価値があるのだ。
 有りのままの情報を知ることで判断の分岐点になる可能性もある。
 質が高いか低いかは関係ない。
 「大衆が素直な感想を発信している」ことに大きな意義があるのだ。

 気づいてみると日米の大手家電メーカーは、「ソフトウエア会社の下請け」になっている。

 googleはリアルタイム検索の価値がわからなかった。
 固定化された知識と評価の高いサイトの情報にこだわりすぎたためだ。
 グーグル検索から生まれる「集合知」で圧倒的にリードしていても、巨大知がもたらす情報価値は理解を超えていた。



 『ブラック・スワン』(ナンシー・ニコラス・タレブ著、望月衛訳、ダイヤモンド社刊)


 著者はありえないこと、極端な現象を「ブラック・スワン現象」という。
 著者は「拡張」可能か、不可能かを区分する。
 一定労働した後は勝手に収入が増える仕事は拡張可能であり、
 収入を増やすためには新たに時間を費やして仕事を増やさなければならないのは拡張不可能
というのだ。
 アメリカ経済は、アイデアを生み出すことに勢力を注ぐ。
 その結果として製造業の仕事は減り、同時に生活水準は上がっている。
 アメリカはかって世界史上に存在したことがない「知財国家」に近づきつつあるのかもしれない。
 
 見えているものから予測したり、見えていないものを推測することは容易にできる。
 黒い白鳥に振り回されることはないし、歴史もジャンプしない。




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★ 桃色トワイライト:イースター島のモアイ:三浦しをん

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● 2010/03/15[2005/08]



○月27日(木)
 イースター島に行きたい。
 イースター島ってすごくいいところらしい。
 忘れないように日記に書いておこう。

 Nさんによるとイースター島のモアイって驚くほど大きんだそうだ。
 そんな大きな石像が、シマノ断崖絶壁の上に、海に向かって立っている。
 というイメージは誤りで、ほとんどのモアイはゴロンゴロンと半ば地面に埋まった状態で転がっているらしい。
 スゴイなあ。
 モアイは、万博とかで引っ張りだこらしい。
 そりゃそうだよな。
 あんな謎めいた巨大石像、ぜひパビリオンに飾りたいものだもの。
 それで、世界中に貸し出されていくんだけど、律儀にちゃんと返してくるのは日本ぐらいなんですって。
 けれど、その律儀さが思いもよらぬ事態を引き起こすこともあるらしい。
 
 モアイを元のあった場所に戻すために、日本人はクレーンとかショベルカーとかを運び入れたらしい。
 そんで、その操作方法を島の人にも教えて、つでにクレーンもあげて帰っていったんですって。
 そんな重機は持って帰るより、置いていった方が安上がりなんだろう。
 島の人たちはもちろん、
 「スゲエ、これおもしろいよ!」
ってことで、クレーンに夢中になっちゃった。
 地面に埋まっているモアイをどんどん掘り起こして、次々に立て始めているらしい。
 考古学的な測量をきちんととか、もちろんいっさいナシ。
 「今度はオレにやらせてくれ!」
 「ずるいぞ、次は俺だぞ!」
ってな感じで、我先にとモアイを直立させる。
 さらに、変な帽子をかぶっているモアイがいるじゃない。
 あの帽子(もちろん巨大)もそのへんに落ちてるらしんだけど、クレーンで帽子を拾って、勝手に適当なモアイにかぶせちゃってるそうだ。
 「このモアイ、前に来たときは帽子なんてかぶってなかったよな‥‥」
っていうのが、島のそこここに立っているそうだ。

 ブラボー!
 いいよ、すごくいい島だよ。
 イースター島に行きたい。







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2012年3月28日水曜日

★ 官僚の責任:残された選択肢は一つ:古賀茂明

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● 2011/08/16[2011/07/29]
  官僚の責任:古賀茂明著




 まえがき

 政治家たちがどうしようもないのは事実である。
 その無能、無責任ぶりには腹が立ってしかたがないという国民が大多数だと思う。
 しかしその裏には、政治家同様、この非常事態に際して自らの責任を放棄して恥じない人間たちがいる。
 それどころか、自分たちの利権維持のために汲々として懲りない人間たちがいる。
 そう、霞が関の住人である官僚たちである。

 これだけの国難(東日本大震災)にあってもなお、無意識のうちに省益のことを考え、みずからの利権確保に奔走する彼らの姿は、政治家と違って国民の目に直接ふれることが少ないだけに余計タチが悪い。
 官僚の思考がそのような回路を辿るのは、もはや彼らの習性と言うしかない。
 何か物事を進めるときには自動的に自分たちの利益を最優先するように、いわばプログラミングされているのである。

 「官僚=優秀」----そういうイメージを一般の方々は抱いているかもしれない。
 が、だとすれば、いまこの国を覆っている重苦しさはどういうことなのか。
 ほんとうに官僚が優秀であるならば、どうしてこの国は、国民の多くが将来に対して明るい希望を持ちにくくなってしまったのか。
 つまり、官僚はけっして優秀ではないし、必ずしも国民のことなど考えて仕事をしていないのだ。
 たとえ官僚になるまでは優秀だったとしても、いつの間にか「国民のために働く」という本分を忘れ、省益の追求にうつつを抜かす典型的な「役人」に堕していく。
 それが「霞が関村」の実態なのである。




 おわりに

 日本のみならず、世界的にも大きなショックを与えた東日本大震災から、かなりの時間が経過した。
 被災地の人々をはじめ、日本国民は何とか復興へと踏み出しつつあるが、肝心の政府からは、復興策のの内容と道筋についての明確なメッセージは示されないままだ。

 <<略>>
 こうして見てくると、
 民主党政権は既得権グループと闘おうとしていない

ことがわかる。
 農業(農協)保護、中小企業(団体)保護の姿勢は自民党と基本的には同じ。
 本書では取り上げなかったが、医師会擁護も同じだ。
 民主党や自民党のような「バラマキの成長戦略」としてではなく、おもに
 制度改革を促す新たな「闘う成長戦略」
を実行しなければならない。
 そして公務員改革を断行して、官僚が真の政治家を全力で支える。
 それが理想だ。

 現実には、それがかない可能性はかなり低い。
 日本の財政破綻は「想定外」に早く到来する可能性が高くなっているといっても過言ではない。 
 一刻も早い公務員制度改革が必要なのだ。
 日本が将来に向けて行わなければならないさまざまな改革を、効果的に進める大前提となるのが公務員改革だからである。

 役所に限ったことではないのだが、あるものを別の方向へ変えようとすると、必ずそれを押し戻そうとする力が働く。
 したがって、まったく白紙から線を引き直すしかないのだ。
 役人にそれをするだけのインセンテイブはない。
 つまり、官僚には自浄能力は期待できないのだ。
 
 変えられるのは、やはり政治家だ
 自民党は、かっての自民党体質を拭えない長老に支配されている。
 かれらに変革を求めるのは無理だ。
 なぜなら、彼らは官僚に育てられたと言ってもいいからだ。
 自民党の政治家と官僚はもちつもたれつの関係なのだ。
 
 その点、民主党にはそういった縛りがないぶん、官僚に妙な気を使う必要はなかった。
 改革を断行できる土壌はあった。
 だが、すでに述べたような理由で挫折。
 結果、むしろ官僚支配が強まってしまった。
 とはいえ、
 「変えよう、かえなければいけない」
というメンタリテイは、まだ失われていない。
 政権についてかなりの時間が経過したことで、官僚との付き合い方や使い方をそれなりに学び、身につけてきている。

 そうなると残された選択肢は一つ。
 改革への意志をもった民主党の政治家を中心に、志を同じくする自民党の若手がごうりゅうすることだ。
 民主と自民の大連立など本気で願っているような古いタイプ
----民主党ならオザワグループのような人たちや、現政権内部にもいる改革派ぶった権力亡者たち、自民党なら「来た道に戻りたい」グループの長老たち-----
の政治家にはお引き取り願ったうえで、____
 <<略>>
 そういうダイナミックな動きが起き、その代表者が真の意味での「政治主導」、いや、総理が直接、各省庁、各大臣に支持できる「総理主導」の仕組みを実現しない限り、改革はどこまでいっても難しいのではないかと思う。

 政治家たちを動かすのは何か。
 国民の強い意志---やはりこれしかない。
 誤解を恐れず言いたい。
 今回の東日本大震災は、よりよい明日を築くための契機となりうる。
 なにがなんでも絶対にそうしなければいけない。
 
 日本にはポテンシャルがある。
 けっしてヤル気がないわけではない。
 あとは、行動に移すだけなのだ。

 2011年6月 古賀茂明




 あとがきを書き終えたあとで



 本書校了の3日前、すなわち2011年6月24日。
 私は経産省の松永和夫事務次官から正式に退職勧奨の通告を受けた。
 どういうわけか、人事権者であり海江田万里経済産業大臣とは結局、一度も会わせてもらえなかった。
 
 これまで一年半以上、次のポストを探すから待っていろ、と言われ続けてきた。
 退職期日は7月15日。
 猶予は3週間足らず。
 先方による一方的な通告だった。

 当日は、私が大腸ガンの手術を受けから5年目の一連の定期検査の一つが行われる日である。
 状況がこのまま推移すれば、役人生活最後の日は、残念ながら休暇で終了となる。
 かりにそうなれば、7月16日からは晴れて自由の身だ。
 ただし、その裏側には仕事がないという現実もつきまとう。
 しかし、怖いものは何もない。
 役所にいようがいまいが、日本人であることには変わりない。
 いままでどおり、次代を担う若者たちが活躍できる舞台を整えるべく、どこにいても力を尽くしていきたいと思う。







(私見:
 「残された選択肢はひとつしかない」というのは、そうだろうかと思う。
 それはいまの体制での残された選択肢に過ぎない。
 今、日本は変化している。
 「変革ではない」、変化しているのである。
 「イワシ」の話ではないが、数十年周期でやってくるレジーム・シフトの過程に入ってきている、といった方がわかりやすいかもしれない。
明らかに変化の過程に入っている。
 人が意志的に変革をするのではなく、既存の体制自体が崩れる過程に入ってきている。
 例えば、大阪維新の会の出現などその典型であろう。
 これ一見、個人的なハシズムのように見えるが、実際は生態的変化であり、それに橋下氏がうまく乗っているにすぎない。
 おそらく今後、既成のスタイルにはみあたらないような形で、
 第二波、第三波と生態的な変化
が押し寄せてくるだろう。
 そこでは、日本を作っている既存の憲法などというものを易々と乗り越えてしまっている。
 それは憲法改正論議といったものではなく、体制の変化なのである。
 体制の生態的変化なら、もはや憲法改正などというのは二次的なもの、つまり
 「オマケの手続き」に過ぎなくなってくる
のである。
 大阪都などという構想は既存の思考の中からは絶対に生まれないものである。
 今、そういった強いていえば
 魑魅魍魎とおもわれそうなもの

が徘徊しはじめている。
 これからもっともっとすごいものが現れるだろう。
 日本は変化している。
 何かの力に突き動かされて、変化しようとしている。

 それは人間の恣意的変革ではない何モノかである。
 日本はそういう時代過程に入りつつある。

 おそらく平成20年代を最後に自民党、小沢グループ、石原老人、亀井老人、平沼老人といったところは賞味期限切れで消えていくだろう。
 30年代に姿を残こしているのは民主党の若手、大阪維新の会、そして新しく台頭してくるであろう魑魅魍魎妖怪変化グループといったところだろう。

 数十年まえにレジームシフトがおこり、日本は人口増加という時代動向に乗せられた。
 それが経済を押し上げるという形で動いた。
 新たなレジームシフトは人口減少という生態変化の時代に入った。
 まさに「イワシはどこへ消えたのか」ならぬ、
 「日本人はどこへ消えたのか
がおころうとしている。
 今世紀半ばの人口は1億人前後になると見込まれている。
 ということはこれから向こう40年にわたって日本からは毎年70万人の人が消えていく。
 70万人とはどれほどの数か。
 静岡市が71万人、世田谷区についで2番目に人口の多い練馬区も同じく71万人。
 大雑把にいうと、毎年静岡市あるいは練馬区が日本から一づつ消えていくことになる。
 それが少なくとも40年、おそらくは60年続くだろうと予想されている。
 推定では8,500万人くらいになるまで、日本人は消え続けるだろうという。
 もちろん永遠に減り続けることはない。
 無限に増え続けることがなかったように。
 はるかな先の話だが、そこでまた新たなレジームシフトが起こることになるだろう、と思われる。

 この生態的な問題がすべての今後の日本の在り方の基本になる。
 「人が減り続ける」という動かしがたい現実が目の前ある。
 こういう動きのなかでどういう形をとっていくのがもっとも適当かということである。
 この展望の下で、明日の日本を作っていくことになる。
 レジームシフト、すなわち生態的変化が目に見える形で現れているのである。
 これに解答する形でしか、政治改革あるいは官僚改革は答えられないはずである。
 「闘う成長戦略」などという言葉遊びは空虚だ
ということである。





 【習文:目次】 



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2012年3月25日日曜日

★ イワシはどこへ消えたのか:レジーム・シフト:本田良一

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● 2009/03/25


 図でみるようにマイワシは88年をピークに減り始めた。
 一方で、サンマは88年を境にづ得始めた。
 後でわかったことだが、この88年に海では私たちにきづかない間に「異変」が起きていたのだ。



 マイワシが減り、サンマが増える。
 このようにある種の魚が減るにつれて、別の魚が増えいく現象は「魚種交代」として昔から経験的に知られていた。
 ときに魚種交代は社会や経済に大きな影響を与える。
 では、なぜ魚種交代は起きるのだろう。
 人間が獲り過ぎるからだろうか。
 サンマもマイワシと同様、いつか消えてしまうのであろうか。
 食卓にのぼることが多いイカ、ブリ、カツオなどは魚種交代とは無関係なのだろうか。
 1988年、海にどんな「異変」がおきたのだろうか。

 この疑問を解決する案内人となり、キーワードとなるのが「レジーム・シフト」だ。
 レジーム・シフトとは地球規模のシステム変動を示す新しい概念だ。
 <略>
 このレジーム・チェンジが、大気-海洋-海洋生態系という仕組みの基本構造(レジーム)が「数十年」の周期で転換する「レジーム・シフト」という概念に発展する。
 この現象は海の中では、「魚種交代」という形で現れる。
 「レジーム」とは「体制」のことだ。
 政界や経済界で「戦後レジームからの脱却」という場合は、戦後の政治、経済の仕組みを大きく変えることを意味する。
 同様に、この「レジーム・シフト」は、気候や生態系などが数十年周期で転換することを指す。
 
 環境は
 「大気-海洋-海洋生態系という地球の基本的な構造(レジーム)」
によって決定される。

 10年ぶりに改定され、2008年1月に発売された『広辞苑』第6版にも「レジーム・シフト」は新語として採用された。
 それには「大気・海洋・海洋生態系からなる地球の動態の基本構造が数十年間隔で転換すること」という説明がある。
 学会、社会で認知されたとはいえ、レジーム・シフトについての一般の理解はまだ少ない。
 だが、環境問題の重要性と、それへの関心が今後ますます高まるにつれて、この概念は大きな役割を果たすことになる。

 日本は周囲を生みに囲まれ、6,852の島(周囲100m以上)から構成されている。
 そのうち約400の島に人が住む海洋国家である。
 最東端の東京都南鳥島から最西端の沖縄県与那国島まで「3,143km」
 最北端の北方領土の択捉島から最南端の東京都沖ノ鳥島まで「3,020km」。
 沖ノ鳥島は東にいくと、米国ハワイのホノルルよりも南にあたり、西へいくと、ベトナムのハノイより南に位置する。
 国土面積は「約38万km2」しかなく、世界で59番目になる。
 だが領海を含む排他的経済水域は、その約11.7倍と広がり、「約447万km2」となる。
 これは世界第6番目の広さになる。

 ある年を境に環境が大きく変わってしまうことがある。
 これを「レジーム・シフト」という。
 それは社会生活や経済活動の中でも見られる。
 2008年秋に、アメリカの住宅バブル崩壊に端を発した金融危機は、瞬く間に世界的な大不況に発展した。
 経済環境が一変し、派遣社員など非正規労働者に加え、正社員のリストラの嵐が吹き始めた。
 いわば「経済のレジーム・シフト」がおきたといえるだろう。
 ある事件や政策をきっかけに、内閣支持率が大きく低下し、派閥やグループの動きが加速する。
 政界再編の動きが出たり、さらには総選挙の結果、与野党が逆転して政権交代が起こる。
 これらは「政界のレジーム・シフト」といえないだろうか。
 
 「資源が低いときは、じっと我慢してチャンスを待つ。
 このとき資源回復の芽を摘んではならない
 レジーム・シフトの父、東北大学名誉教授の川崎健さんの指摘は、そうした状況でも示唆的だ。
 環教の変化を常にモニターして、その動向を把握しておくこと。
 






 【習文:目次】 



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